京都人類学研究会、発表告知

こんにちは。昨日、帰国翌日の疲労状態にもかかわらず、卒業式・修了式の後の謝恩会、続く追いコンの1次会、2次会、さらには有志のベルギービールとフィリピンパブへと進み、最後にカレー味噌煮込みうどんで〆て、当然終電逃してサウナに泊まった36歳の大学教員です。いい加減に学べよ、おい。

先日お知らせした、『呪術の人類学』刊行を控えたこのタイミングで、僕の担当する章の内容を発表する機会をいただきました。京都人類学研究会の3月例会。大変、由緒ある研究会から発表のご指名をいただき、光栄ながら恐れおののいています。オープンな研究会ということで、お近くの方はぜひどうぞ。

やや、なめた感じのタイトルで発表しますが、中身はがちの呪術論です。虫の糞を飲み干せるほどに、人はなにゆえに呪術に飲みこまれていくのか…。

以下、転載です。いい感じに作っていただいた、ポスターはこちら

---------------
京都人類学研究会 3月例会

【演題】
呪いには虫の糞がよく効く――日常と呪術の境界から

【発表者】
東賢太朗氏(名古屋大学大学院文学研究科)

【コメンテータ】
常田夕美子氏(大阪大学グローバルコラボレーションセンター)

【日時と場所】
日時:2012年3月29日(木) 18:00開場 18:30開始
場所:京都大学 総合研究2号館 4階会議室(AA447)

【発表要旨】
「呪術とは何か?」と言う謎に取り組む上で、それが日常実践の位置形態であるとする方向付けは、呪術の他者性を過度に強調して描こうとしたり、近代やグローバル化という大きな物語に回収しようとする欲望を回避するためには効果的だろう。その上で、もう一度問いかけてみたい。呪術は日常実践なのだろうか、と。

たしかに、Favret=Saada[1980]が「そんなはずはない、だがしかし・・・」という言明に寄せたように、私たちの日常のあちこちには呪術が現れる契機が偏在している。誰かが何かを恐れたり何かを願ったりするときに、神谷精霊や超自然など、合理的な思考の枠組みには収まりきらないものへの想像力が発動することはとくに珍しいことではない。日常とは、むしろそのような呪術的想像力に彩られながら、合理と非合理、世俗と超越を含みこんで成立している。その点では、日常から呪術を切り離し、隔たったものとして扱う必然性はどこにもない。発表者自身も同様の観点から、特に呪術の経験や感覚と言う「実体性」に注目し、そのアイロニカルな心意作用が日常と非日常の差異を無化してしまうプロセスに注目してきた[東 2011]。

だがしかし、当然ながらすべての日常的実践が呪術的であるわけではない。私たちの日常は、多くの場合日々のたんたんとした、自明な行為の繰り返しによって構成されている。そのような自明性のなかに、突然呪術的な想像力が動き出すのである。その想像力は、強ければ強いほど普段は自明視していた世界のあり方を異化し、異なった世界の中でのみ妥当だと思われる呪術的実践へと展開していくかもしれない。日常における呪術的な想像力の発動、また日常的実践から呪術的実践への移行というプロセスにおいて、いかにして日常と呪術は結びついているのか。「日常的実践としての呪術論」が回避しがちなこの問いについて、本発表では取り組んでみたい。

そのために、これまで発表者の呪術論において扱いきることのできなかった特殊事例を取り上げたい。フィリピン地方都市のある1名の女性呪医は、他の呪医の病治しと比較して明らかに奇異にみられる呪術的治療を行っている。発表では患者にとっては受け入れがたい呪術的な世界観や、民間医療の体系が、「物語り」によってコンテクスト化され、行為によって「真理化」されているプロセスを、いくつかの治療の現場から微視的に描写してみたい。その上で、日常と呪術をか架橋する決定的要因としての「希望」について、考察を試みる。
東賢太朗 2011『リアリティと他者性の人類学――現代フィリピン地方都市における呪術のフィールドから』三元社
Favret=Saada, J. 1980 Deadly Words: Witchcraft in the Bocage. Catherine Cullen trans. Cambridge University Press.

【備考】
* 京都人類学研究会は京都を中心とする関西の人類学および関連分野に関心をもつ研究者・大学院生がその研究成果を報告する場です。
* 事前の参加予約は必要ありません。
* どなたでも自由に参加いただけます。
* 当日は資料代として200円いただきます。

【問い合わせ先】京都人類学研究会事務局 inq_kyojinken@hotmail.co.jp

| | Comments (38) | TrackBack (0)

【呪術の人類学』、出版!

本日、フィリピンより帰国しました。2月の後半から、ほぼ休みなく3つの海外渡航を繰り返し、少し30代後半の身体の劣化を感じているところです。これで、もうすぐ新学期が始まるのかと思うと…。

そんななか、テンションを上げられるお知らせが1つ。

科学研究費補助金と国立民族学博物館の共同研究を何年も続けてきた呪術研究の成果がついに出版物として刊行されます。タイトルはずばり、『呪術の人類学』。僕の敬愛する編者のお二人が、とにかく力を入れて編んだ、論文集です。

ここに名前を書くのも恐れ多い大御所から、人類学をリードする先輩方、隣接領域からの寄稿者まで、とにかく時間と力を割いて、「呪術とは何か」について語り合い、考え抜いた成果を、人類学へ、そして近隣の人文科学や社会科学の諸領域へ、さらにはもう少し普遍的なアリーナまで、問うための出版です。

僕自身は第4章を分担執筆しています。個人的には、昨年出版した単著の議論を補足する内容になっていると思います。『リアリティと他者性の人類学』で扱った呪術の日常性ではなく、非日常性について、考える内容です。

思えば2004年、フィールドワークを終えて膨大なデータの前で立ち止まっていた僕を、「呪術」という果てしのないテーマへといざなってくれたのが、この共同研究でした。大げさにいえば、いまの僕がここに立っていられるのは、このメンバーとの出会いがあったからかもしれません。始まりも、これまでも、たぶん今も、そしてできれば最後まで、僕は「呪術」研究者でありたいと願います。

『呪術の人類学』、人文書院、4月10日刊行。以下、出版社HPとアマゾンの予約情報です。関心のある方は、ぜひともよろしくお願いします。

出版社(人文書院)HP

AmazonのHP

| | Comments (130) | TrackBack (0)

36歳の誕生日

前回のエントリーが昨年末。気付くと3カ月弱立っていました。なんだか、近況報告と宣伝だけのブログになってしまったようだけれど、そしてツイッターに加えFacebookも始めすっかり乗っ取られ気味だけれど、一応続けているつもりです。

本日、2012年3月21日、生まれた日から36年間が経過しました。

36歳、避けようもなく「中年」期に突入といったところでしょうか。茶色い髪の色も、いい加減な格好も、いつまで続けていくのか、やめ時をやや逸した感じで、外見だけでなく、中身の思考や感覚も、全然この36年間という時間に追い付いていなくて、ものすごく中途半端に成長しきれていない、春樹作品の主人公が大きく崩れてしまった感じです。

それでも70年生きれたら後半戦、90年くらい生きてしまうなら中盤戦、人生はまだまだしばらく続いていくだろうから、僕は僕のペースで世界と少しずつ折り合いをつけながら、仕事と遊びの日々を繰り返していこうと思います。

もはや1年に1度、儀礼的に通過するだけの一日だと思っていた誕生日ですが、思いがけず多くの方々に祝ってもらい、お祝いの言葉をもらい、ああやはり生きて、関わって、つながっているんだという想いはたしかに強くしました。ありがとうございます。がんばります。

フィリピンより、36歳のゆるめの決意とともに。

東賢太朗

| | Comments (49) | TrackBack (0)

今年の最後に

こんにちは。すごく久しぶりですが、今年最後のエントリーです。

今年の年越しは、気の置けない友人夫妻の自宅で、妻と猫ともに過ごしています。昨年の今頃、独身最後の贅沢と称して、友人とニューヨークのタイムズスクエアで年越ししたのが幻のようです。

あれから一年、早かった。3月には入籍の直前に震災が起こって、自分の人生に求める幸福と世の中に生じている不幸との狭間で、力と言葉を失った。ぎりぎりまで動けず、結局あわただしく書類だけ提出して結婚生活を開始。そのあと、震災の影響で遅れた著作出版のための作業に追われ、新婚というにはあまりにも殺伐とした生活が続いた。6月、なんとかぎりぎり、『リアリティと他者性の人類学』を出版。

大きな喜びは、むかごが来てくれたこと。誰かと一緒に暮らし始めたら猫を飼いたいなとずっと思っていたけれど、それが実現したら想い描いていたよりもはるかに素晴らしい喜びを与えてくれた。それからしばらく、少し早く仕事を終えて、妻と買い物をして帰って料理を作って、むかごも一緒にテーブルを囲むのは、いまだに受け入れがたい奇跡的な幸福だと思う。それからしばらく、結婚式の準備を進める日々が続いた。

夏はいつも通り、数回の海外渡航があったけれど、そこでも自分に帰るべき、帰ることができるホームがあることの不思議さばかりが印象に残っている。帰国してから、すごく追い込んで、そして本当に多くの人たちの助けを借りて、なんとか10月9日に結婚式を挙げた。それもまだ信じられない。

いつも通り、襲いくるあれこれの出来事につねに一歩遅れながら、対処するだけの時間を365日過ごしただけなんだけれど、振り返ると自分は「配偶者」になって、「著者」になって、「飼い主」になって、いくつかはっきりとしたステイタスの変更が今年を跡付けている。そして、それが、自分の小さな世界のすぐ外にある世界の大きな変化と相まって、「変わったんだ」という気持ちを強めている。そう、今年はすごく、いろいろなことが変わった。その変化が「きっかけ」なのか「あらわれ」なのか、まだよくわからないけれど。

今年は自分の小さな世界の変化に対応することと、外にある世界の変化から身を守ることで精いっぱいだった気がする。内側でディフェンスを固めるだけでなく、外側に攻めに出るバランスを確保したい。半径10メートルの世界から一歩踏み出してみなよ、って誰かや誰かにけしかけていたのは誰だっけ。

最後はやっぱり内向きのぼやきか呟きになってしまったけれど、今年お世話になったすべての皆さん、ありがとうございました。それぞれ幸福に2012年を迎えられることを祈ります。そして、それら幸せの総和が世界全体の幸福につながりますように。よいお年を。

2011年12月31日

東賢太朗

| | Comments (15) | TrackBack (0)

明日、合評会

明日、拙著の合評会が開催されます。詳細は、以下のポスターをご覧ください。

Poster_8th


| | Comments (12) | TrackBack (0)

結婚式終了

一昨日、10月9日、多くの皆さんに見守られながら、名駅ミッドランドタワー42階、エノテーカ・ピンキオーレにて、無事に人前結婚式と披露宴を終えることができました。

出席してくれた方々、祝電を送ってくれた方々、様々お手伝いしてくれた方々、そしてその他これまで僕たちを支え育んでくれた全ての方々にこの場を借りてお礼を伝えます。ありがとうございました。

これからは、きっとずっと続いていく二人(と一匹とその他未来のメンバー)の日常生活をいかに幸福で実り豊かなものにするか、そのことに力を注ぎたいと思います。そのためにも、結婚式での誓いや喜びを忘れないように。

ありがとうございました。

2011100919330000

Img_5853

| | Comments (19) | TrackBack (0)

結婚式前夜

「のび太の結婚前夜」というドラえもんの映画があった。成長したのび太がしずかちゃんと結婚する前日に、のびたとドラえもんがタイムマシンで訪れ様子をみるという話だったと思う。昔、いつだったか、レンタルして観た記憶がある。

明日、僕ものび太ばりに結婚式を挙げる。「結婚する」のでないのは、すでに半年以上前に入籍を終え、法的には既婚者となっているからだ。そして、パートナーとの共同生活も、それ以来継続している。

それでも、いくつかの書類と印鑑とサインを揃え、役所に提出してしまえば完了する入籍は、あくまでステイタスの変更であって、通過儀礼としての結婚式と披露宴を経て自分の属する社会集団の承認を得ることとはやや実感が異なる。そう、フィリピンで諸事情からカトリックの教会婚を挙げることができずCivil Marriageと呼ばれる行政婚を上げた人々が、「Civil lang(籍だけだから)」と俯きがちにいうような。

いや、式も披露宴も、別にしなくても愛し合いともに暮らし生きていくという結婚のあり方に何も違いがあるわけではない。ただ、この数ヶ月、明日のために通過してきた様々な準備や手続きを思うとき、籍を入れたときと同じかそれ以上に不思議な気分になるだけ。ああ、僕は結婚するんだな、と。

ここにいたるまで、多くの人たちから「結婚式は、女の人が主役だから。男はおまけだから」と何回も聞いた。もちろん、がんばってタキシードを着る僕よりも、彼女の白く美しいウェディングドレス姿が輝くのは間違いない。でも僕はそれでもいいたい。結婚式は、祝いに来てくれる人たちが、これまで支えてくれたこと、育んでくれたことへの感謝なんだ、だから主役はゲストの方々なんだって。

その気持ちを強く持ちながら、わりとしんどい結婚式のためのいくつかのステップを越えてきた。もちろん、その過程でやはり家族や友人たちのサポートを受けることになった。いや、むしろ、一つ一つのステップはすべてそれらサポートによって乗り越えられたものかもしれない。まるで僕の、僕たちの幸運すぎる人生を、圧縮して照らし出したかのように。人と人以外の何かという他者の力によって導かれ、たどり着いたこの場所。

明日、会場でお会いする人たち、会場でお会いできない人たち、すべてこれまで僕と、僕たちを支え育んでくれた人たちへの感謝をこめて、意識を失うくらい全力で結婚しようと思います。ありがとう。この先の道のりはまた果てしなく、多分皆さんのお力を求めてしまうだろうけれど、少なくとも2人でできることは2人で行うことができるようなパートナーに、なりたいと思います。

明日の天気はいいらしい。いい式になりますように。いい式にしようか。きっとなるだろう。

| | Comments (44) | TrackBack (0)

環境としての中日新聞

名古屋とその近郊で育った僕の家は、当たり前のように中日新聞をとっていて、そして気がつくと当たり前のようにドラゴンズファンになっていた。大学受験のころ、入試問題によく出題されるというので数ヶ月だけ朝日新聞に変えたのだが、僕が大学に入学して東京に行き、最初の夏休みに帰省した時にはすでに再び中日新聞に戻っていた。

多分、このあたりの地域に住んでいる人の多くは同じような感じではないだろうか。環境としての中日新聞。

先日の記事掲載は、だから思った以上に色々な人が読んでいて、家族や親戚はもちろん、友人や同僚など、「載っていたね」とか「読んだよ」と声をかけてくれる。ありがたいことだと思う。

それにしても先週末、ある地域の集まりに参加したとき、見知らぬ年配の女性から「結婚式はいつなの?」と話しかけられたのには驚いた。それはかなりの偶然の重なりだった。先月僕が、同じ地域で開催された戦争経験者の講演会を聞きに行ったとき、受付で名前と住所と所属の記帳を求められて、僕はとくに深く考えずにありのままを記入した。そうしたら、実はその女性は講演会の主催者側の方で、講演会後に参加者の名簿を何気なく確認していたときに、自分の家のものすごく近くの住所の僕のところで目がとまったらしい。「名大、東」くらいのキーワードが記憶の片隅に残っているうちに、中日新聞を読んでいたら僕の記事と写真が載っていて、「あ、講演会に来ていた人だ」と思った。記事には、僕のあまり大学教員らしくない顔写真と「もうすぐ結婚式を挙げる」という記載があった。そして、同じ地域の集まりで、記事の写真と同じ僕の顔を見かけて、「結婚式はいつなの?」と話しかけたというわけだ。

僕が講演会を聞きにいっていて、彼女がたまたま近所に住んでいて、彼女がたまたま僕についての新聞記事を読んでいて、そして僕と彼女が同じ地域の集まりでたまたま顔を合わせたということ。そういう偶然の連鎖は、人生の中で意外とよく起こりうることなんだけれども、今回はその結節点に中日新聞があったことが面白い。

環境としての中日新聞。この地域で育ち、今再び暮らしている中で当たり前のように受け止めていたけれど、今回はその影響力を、さらに深く感じさせられた。

| | Comments (11) | TrackBack (0)

合評会続報

今日から後期授業が始まった。いつものことだけど、初回はうまく言葉が出てこない。授業開始までに、うまく切り替えてウォーミングアップできているのが理想なんだけれども。

先日お知らせした拙著の合評会の続報です(まるはち人類学研究会へのリンク)。

ディスカッサントが2名、決定しました。2名とも、昔から僕の研究をよく知り、コメントと刺激を与え続けてくれている方々です。今回はどのような厳しい/暖かいコメントがいただけるのか、不安でもあり楽しみでもあります。

お時間のある方はぜひ。

------------------
第8回研究会

合評会 東賢太朗著『リアリティと他者性の人類学―現代フィリピン地方都市における呪術のフィールドから』

次回研究会のお知らせです。

著者の東賢太朗氏をお招きして、合評会をおこないます。

東賢太朗
2011 『リアリティと他者性の人類学―現代フィリピン地方都市における呪術のフィールドから』、三元社。

10月22日(土) 15時-18時
会場:名古屋大学文学部棟大会議室(110号室)

http://www.nagoya-u.ac.jp/global-info/access-map/higashiyama/

15:00-15:10 趣旨説明
15:10-16:00 著者による説明
16:10-16:25 ディスカッサント1 神谷良法(名古屋大学大学院文学研究科博士研究員)
16:25-16:40 ディスカッサント2 片岡樹(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科准教授)
16:55-18:00 質疑応答


| | Comments (10) | TrackBack (0)

夏の終わりと新聞記事

一昨日帰国し、昨日はプライベートな用事を片づけ、本日より入試業務その他。

あわただしく後期を迎えようとしているが、ギリギリまで可能な限り夏の海外渡航を続けたことを後悔はしていない。シンガポール、ソウル、マニラ、ボラカイ、上海、バンコク、チェンマイ、チェンライと、この夏は東アジアから東南アジアをよく歩き回った。新規訪問地も再訪地も刺激に満ちた発見や気づきが多く、これまでフィールドで感じたり考えてきたことが、さらに加速していることを確認することができた。次や次の次のステップへ、踏み出す希望と欲望の高まりを感じている。

帰国した日本はすでに涼しい。渡航中に掲載された、拙著の取材記事を確認する。中日新聞ということで読者が限定されているのがやや残念だけれど、記者の方がすばらしくわかりやすい紹介文を作ってくれた。以下、スキャンした原文を掲載しておきます。

Scan2_3

なぜか左隣は同じ研究科の町田教授の連載(2011年9月20日、火曜日、中日新聞朝刊記事)。

| | Comments (42) | TrackBack (0)

«拙著、合評会開催のお知らせ