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遠慮

 今泊めてもらっている家は、前回泊めてもらっている家の向かいにある。どちらの家とも長い付き合いで、とてもお世話になっている。

 前回泊まっていた家のお手伝いさんが、「Ken、きっとそっちのお家で洗濯してもらうのは恥ずかしいだろうから、私に服を渡しなさい。洗ってあげるから」といってくれる。ありがたい言葉。

 その直後、今回泊まっている家の奥さんが、「Ken、洗濯物を明日までに出しておきなさい。洗うから。恥ずかしがっていてはダメです」と。気を使ってくれてありがたい。

 実は、僕はすっかり両家の人たちには慣れていて、あまり恥ずかしいとか遠慮を感じていない。洗濯物もまだたまっていないとか、面倒くさいという理由で出していなかっただけだ。しかし、両方から言われてしまっては困ってしまう。多分、僕はただでさえ少ない洗濯物を明日、2つに分けて両家に洗ってもらうことになるだろう。

 そんなふうに僕の周りの人たちが考えるのは、こっちの人たちが本当に恥ずかしがり屋で遠慮がちだから。もちろん個人差はあるが、特にティーンエージャーなんて人の家に来ると借りてきた猫どころか、彫刻のように固まってしまう。何か食べ物を勧めても「Sige, sige」(お構いなく)とだけいってまた固まっている。

 「恥ずかしい」(イロンゴでHuya、タガログではHiya)という言葉は、フィリピン文化を語る際のキーワードとされてきた。1つの言葉で文化を語るなんて乱暴だといわれていて、僕もどっちかというと批判的なのだが、毎日「恥」をめぐる事象や語りに接触しているとそれも一理あると思えてくる。

 「恥ずかしい」で困るのは、あまりにもそれが氾濫しすぎていて、何に対しての言い訳にもなってしまうこと。例えば、お金を僕が貸したとする。「いついつまでに、必ず耳をそろえて返しに来るから。命に代えても返すから」と誓った人が期日に現れない。さすがに僕がムッとしていると、周りの人が「Nahuya sya sa imo」(恥ずかしいんだよ)って。返せなくて恥ずかしいなら、なおさら会いに来て言い訳の一つでも言えばと思うけれどそうもいかない。そして、ほとんどうやむやになりかけた頃、貸した相手に再会すると、顔中を硬直させてうつむきながら僕と目を合わせようともしない。なぜなら「Nahuya sya sa akon」(恥ずかしい)から…。

 さて、今夜もそろそろお風呂に入らないと「恥ずかしがっている」と思われてしまう。相手の気遣いの少しだけ先を行く気遣いができればいいなと思う。


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