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もし僕が全能だったら…

気候がいいので気分がいい。

午後はのんびりカタカタと文章を打ちながら過ごす。すると、いくつかの場所で出会った何人かの人たちとの交通が偶然に始まる。反応して読んだり書いたりしながら、1人ではないことの小さな幸福を感じ始める。

まったく未完成で不十分ながら、色々なところで発言をし文章を発表するという命がけの跳躍を行うのは、ただ単に恥をさらしたいというマゾヒスティックな性癖からではなく、その中途であるということゆえに生成する何かを期待しているから。僕の意図と近かったり遠かったりしながら、けっして同じにはなりえないという意味での誤解=誤読は、疑問や懸念や批判という形でさらなる可能性を開いていってくれる。それが、完全に意思疎通できないという僕たち人間の能力の限界によるものならば、それは創造神の愛すべき誤算だったといえるのではないか。

例えば僕が非常に強固な全体主義の中心に位置しているとして、発言がまったくその通りに実行されてしまうとしたらそれは面白いだろうか退屈だろうか。その場合でも、誤解されたまま実行されていくという意味で希望は残るのだが、もし僕が全能の神だったらどれほど孤独だろうか。後から振り返った反省的な全能性を僕たちは決して持ち得ない。そのために、多くの過ちと苦しみが生み出されてきたことは否定しないが、それゆえに僕たちは連結してきた。徹底的に分かり合えないからこそつながっていく。それは、多分「無為の共同体」と呼ばれるようなものなのだろう。

Mさん、僕はけっして空疎な思考的遊戯にふけることで現実の変革を放棄しているわけではありません。ただし、その問題を抱えながら、「現実?それは、この現実?それともあの現実?」っていう僕の大好きなHairというmusicalのセリフを忘れることができないのです。

別のMさん、剥がされすぎてほとんど僕の芯は残っていなくて旗色が悪いように思えるけれど、目的と手段の有無を言わさぬ強固な連接の中に僕たちはいつもいつも囚われるだけの存在なのでしょうか。人は、そしてその生は成功と失敗の両極のどこかにかならず位置づけられてしまうものなのでしょうか。

期せずして、別々の交通は、同じアリーナでの思考へと僕を導いていく。それが、僕の思考の単純さとその問題に起因するのなら、大いに反省しなければいけない。

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Comments

学振のリンクからこちらにお伺いするように
なったのですが、もうすぐ学会発表を控えていて、大分ぐちゃぐちゃしているところに、ここのコメントに少し光りがみえたような気がします。次期早々だという焦燥感とまわりからの心配と他人への嫉妬など、なかなか乗り越えられていけないけれど、すべてが自分自身のこれからの可能性へと繋がっているのだと信じて研究を続けていきたいと思います。

Posted by: kyot | May 14, 2005 05:17 PM

kyotさん、はじめまして。学会発表の準備はいかがでしょうか。僕も同じく発表準備で大慌てです。がんばってくださいね。

Posted by: azuma | May 15, 2005 02:53 PM

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