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具体的に

とても暑い。最高気温は33度といわれても実感が湧かないが、汗かき指数が「ビッショリ」というなら何となく分かる気もする。

家で週末の研究会に向け発表準備。会場の関係でパワポが使えないのだが、発表作成はパワポでなければできない体になっている。そのまま打ち出しレジメにして配るか、それとも久しぶりに通常のレジメ形式に後で修正するか。パワポに固執するのはなぜと聞かれれば、1つは間違いなく今後発表の標準となっていくと思うから、もう1つは、事実と概念の両方のレベルで混沌とした情報を、カード的に整理して、発表ツールとして用い、それをそのまま論文の骨組みにするという一連の流れ作業化することで、もうすこし生産性をあげようという目論見から。

「ボーイズ・ドント・クライ」

こんなにアイデンティティの政治学が流通して、時に消費される世界の中で(もしかしたらそれは僕の周りだけなのか?)、男/女だとか日本人/外国人とかというカテゴリーが社会的構築物にすぎないということ、それが他者によって残酷に当てはめられてきたこと、それに対し当人が自分のカテゴリーについて(非)決定することの権利が守られねばならないこと等、「言われなくても分かるよ、今やろうと思っていたところ!」といいたくなるくらい当たり前だ。ところが、そういう概念的な理解が、決して届かない具体の地平(ウィトゲンシュタインならザラザラした大地と呼ぶだろう)がある。この映画が、実話を基にしているとかそれでもフィクションだとかは抜きにして。

性同一障害を持つ女性が、「お前は、男か、女か、どっちなんだ?」と詰め寄られレイプされる。うわ、どうする?そういう暴力的な事実の集積が歴史的構築の過程であり、当然の権利を奪うことがあたかも当然だとされてきた背景にあるとするならば。「日本人的条件は全てかねそろえているけど、でも日本人としてのアイデンティティは採用できないし、だからといってそれ以外のカテゴリーに収まるわけでもないし…。結局、男性、人類学者、酒飲み、東賢太朗、趣味はダイビング、禁煙して7ヶ月…って説明の束を100集めても1000集めても、僕という存在を十分に言い尽くすことは決してできないんだよね。意味するものと、意味されるものの間にはつねにズレがあって、つまりデリダ的な差延っていうのがさ…」というポストモダン的曖昧なスタンスを主張できること自体、多分「お前はうまく日本人に成りすました○○人だろ!」っていきなり殴りかかられないという安心感をどこかで感じているから。つまり、僕という存在自体が具体的ではない?

先週末の、久しぶりに悔しくて声が出ないくらい適切だったコメントから抱えてしまった宿題。果たしてどうすれば具体の地平へとたどり着くことができるのか。

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