« ネタとベタ | Main | ロハス最終日 »

追悼という現在形

連続する時間軸の中で、つねに変化し続けるフィールドでの様々な事象について、フィールドワーカーは立ち会えた時間があたかも永遠に続く状態であるかのように錯覚する。そして、記録された情報がエスノグラフィーにおける書き手という権威によって現在形で記されるとき、それは民族誌的現在という名のもとに批判の対象になるだろう。

そういう教科書的な知識でどれだけ自分を武装しても、ある瞬間に自分を襲う「現在形」の強力な魅力はときにフィールドで避けがたく、またそこから身をかわすことの成否自体に疑問を抱かせることがある。

O婦人は、僕が参与しかつ観察の対象としているあるカトリック・カリスマ刷新運動に深く関わった人物だ。20000人を越す参加者の多くは貧しさゆえに、精神的だけではなくときに物質的な救いを求めて集まってくる。彼らの「救われる」という必要に答えるために、神の慈愛はもちろん、何がしかの人的な支援があるに越したことはない。ロハス市内でも有数の富裕な一家であるO家は、O婦人主導のもと、その役割を十全に果たしていた。

各種集会への交通の手段や費用がない参加者のため、カピス州内全域にトラックを送り、また毎回2000名を越す黙想会での食事を全て引き受ける。週2回は自宅の敷地内に建てた礼拝堂で集会を催し、そこで「祈りによって全ての苦しみから救われる」と熱く語る彼女を狂信的だという人もいた。日本に運動を広める運命を担ってやってきた(という預言を受けた)素性のしれない学生を快く受け入れ、全ての情報の開示など調査への協力を惜しまなかった彼女は、僕にとっては恩人以上の存在だ。

その彼女が、病の末昨年末に亡くなった。それを聞いたのは今回ロハスに戻ってきてからだった。

はじめてこの街にきたのは2001年。すでに何名かの死を見聞きしてきたし、移動によって連絡が途絶えてしまった知人もいる。その意味でも、僕にとってのフィールドは常に移り変わり続けている。だが、O婦人の死は過去に葬ってしまう事が不可能なくらい、特に強烈な衝撃を与えた。それは、彼女があるとき僕に発した一言に起因していると僕は知っている。「お前はよく勉強してカトリックの教えを信徒以上に学んできたし、これからも学んでいくだろう。だが、いつまでたってもお前に1つだけ足りないものがある。それは『信じる』ことだ。洗礼を受け、神を心に受け入れ信じるようになるまでは、きっとわからないことが残り続けるだろう」そういう彼女は、熱心に集会に通いながらどこか部外者的な視点を維持し続ける僕に気づいていたのだろう。今に至ってもずっと考え続けている洗礼を、僕はまだ受けていない。

フィールドワーク中には、いくつかの強烈なブレークスルーが起こったし、それは今も起こり続けている。O婦人の一言も、僕の調査や研究に対する姿勢を決定的に変えてしまうようなインパクトを持っていた。いつか、僕は神を受け入れその何かを知ることになるだろうか、それとも神を受け入れずともその何かを知ることは可能なのだろうか。もう少し時間をかけて、再び彼女と語りたいと考えていた。しかし、もうその時はやってこないだろう。

極度に個人的な関係性において、極度に個人的な想いから僕はこれを書いている。彼女の言葉のインパクトも、実は僕個人によって解釈されたものに過ぎず、それほど深い意味はなかったのかもしれない。またその言葉を書き手の特権によってノスタルジックに現在形の中に凍結させることは、所詮自分の生業を継続させるための方便に過ぎないかもしれない。もちろん、その認識や政治性についての批判もひきうけていこう。しかしながら、研究者である前に1人の未熟で無力な個人である僕は、どうしてもO夫人の死を継続する変化の一過程として葬り去ることが、できない。フィールドワークは調査研究の実践である以上に、僕にとっては20代の時間を費やした成長物語でもある。彼女の言葉はこれからもずっと僕の中で現在形で生き続けていくだろうし、そうあることが彼女の与えてくれた助力に対しての唯一の返礼であるような気もする。

相変わらず神を受け入れていない僕だけれども、今日はこれからO夫人のことを想いながら教会でろうそくに火を灯そうと思う。

|

« ネタとベタ | Main | ロハス最終日 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 追悼という現在形:

« ネタとベタ | Main | ロハス最終日 »