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差異と力と欲望と

最近、以下のような文章を、某大学HPに掲載した。僕なりの「文化人類学への招待」的な一文だと思う。

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<異文化>と<他者>について調べ、知り、描き、伝える

 文化人類学は大きく、<異文化>と<他者>についての学問だといえます。外国や国内の<異文化>について、あるいは普段見慣れた日常の風景の中に突然立ち現れてくる<他者>について、その自然環境、衣食住やモノ、親族や民族、宗教・儀礼、考え方などを包括的に対象とします。
 そして、文化人類学は<異文化>や<他者>について知り、伝えるために、フィールドワーク(現地調査)とエスノグラフィー(民族誌)というツールを最大限に駆使します。フィールドワークとは、自分の目で観察して、耳で聞き、心で感じる調査方法です。はるか遠くまで旅してもいいでしょうし、また身近な場所に新たな驚きを発見してもいいでしょう。とにかく実際に現場に立つ喜びと難しさを体験してください。エスノグラフィーはフィールドワークで集めたデータや資料を記述し報告するためものです。<異文化>や<他者>について表現するための、豊かで繊細な感性と文章表現を身につけましょう。何かを完全に正しく描写することなど誰にもできないけれども、それでもどうしても伝えたいと願う「あの場所」や「あの人」たちについての情報を、想いを込めたことばにして世に送り出しましょう。

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この文章をN大H文講座の友人に見せたところ「Azumaさん、こんな爽やかなことも考えていたんですね」と。確かにそういえばそうかもしれない。普段の僕なら、特に一番ダークサイドに落ちていた頃ならば、こうなっていたと思う。

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<異文化>と<他者>との差異を、力を背景に、欲望し、投影する

 文化人類学は大きく、力と欲望についての学問だといえます。外国や国内の<異文化>について、あるいは普段見慣れた日常の風景の中に突然立ち現れてくる<他者>について、「見る/知る/書く-見られる/知られる/書かれる」という不均衡な関係性に内包された自己との差異を対象とします。
  (中略)何かを完全に正しく描写することなど誰にもできないけれども、それでもどうしても投影したい「あの場所」や「あの人」たちについての欲望を、圧倒的な力の差を背景として世に送り出しましょう。

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上の2つの文章は見比べてみれば、実のところそれほど異なった内容ではないと感じるので、あまり自分を裏切っているという気はしない。ただ、ほぼ同じ内容を伝えるのに、かなり受け手側の印象が異なる言葉遣いや表現が可能であり、あえて後者ではなく前者を選択しているという点に僕自身の状況や気持ちの変化が埋め込まれているとしたら。ある立ち居地(大学HP)から、あるメッセージ(ゼミ紹介)を発信するという何気ない行為自体が、実は力と欲望についての問題系を含みこんでいる。「<異文化>と<他者>について調べ、知り、描き、伝える」というキャッチフレーズが併せ持つ2つの素顔(知り伝えたいという願い、独占し支配したいという欲望)に配慮しながら、人類学について語っていく必要があるということだろう。あるいは、いつか次第に大人になっていっても危うさを瞬時に感じ取る感性や、希望と絶望を表裏一体のものとして捉えていく全体性への志向を決して失ってはいけないということだろうか。友人の「爽やか」という一言の感想が教えてくれたのは、そういうことだった。

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Comments

こういうことを言っていいのかどうかわかりませんが、AZUMAさんが「ダークサイド」と呼ぶ描写のほうが問題意識がくっきりとしていて、なるほどと思わされる自分もやっぱり「ダーク」なんでしょうか。僕が意識しているのは「身も蓋もない現実への誠実な直視する姿勢」のつもりなのですが。

Posted by: えむ | May 04, 2006 07:29 PM

はたして「ダーク」かどうか、分析医ではない僕にはわかりませんが、後者の方がえむさんの欲望により近いということではないでしょうか。

僕が「ダーク」といったのは、単純に文化人類学をこれから学ぼうという大学生に与える印象として、です。考えてみれば、ダークな描写をしていたころの僕には文化人類学を教えるという使命がなかったので、当たり前といえば当たり前ですが。

それでももう少し突っ込んで考えてみると、期せずして前者と後者は僕の中で揺れ続けている2つのモメント、デリダ的なものとジジェク的なものに対応しています。表象の不可能性と政治性を前提としつつ、それでも差延のポテンシャルにかけてみる希望と、ラカンのいうところの対象aにつねに引っ掛かって僕たちが生成し続けるイデオロギーに対する絶望と(もちろん両者の読み方は人によって違うのでしょうが、僕はこう読んでいます)。

以上をふまえてえむさんの「身も蓋もない現実への誠実な直視する姿勢」にリプライすると、ジジェクモードの僕ならば、「身も蓋もないものが現実であるということを直視したときに自分が誠実であると感じたい欲望」となります。それに対してデリダモードの僕は、「現実の身も蓋もなさを誠実に直視することから生まれる可能性にかけてみたいという希望」となります。結論からいえば、前者と後者の統合から何らかの全体性を導けないかというのが僕の戦略ですが、教育という場において、どちらかというとデリダ的な部分を強調するほうが効果的ではないかと考え始めているところです。

コメントありがとうございました。

Posted by: | May 05, 2006 12:38 PM

ご丁寧なご対応ありがとうございます。いつもすみません。余談ですが、僕はもう自分は大いに「ダークである」ので構わない、と最近開き直っております。

不勉強なものでジジェクにもデリダにも通じないのですが、なんとなくAZUMAさんのおっしゃりたいことが伝わってくるような気がしました。「前者と後者の統合から何らかの全体性を導」けたら、それは本当に望ましいことだと思います。難しいことだと思いますが。

ひとつ「したときに」という表現で引っかかったのでお伺いしたいのですが、「身も蓋もないものが現実であるということを直視したときに自分が誠実であると感じたい欲望」というのは、「現実であるということを直視」する行為そのものが「自分が誠実である」ということであると感じたい(この場合直視することがすなわち誠意である)、ということですよね?

「現実であるということを直視した」状態になって、なおかつ「自分が誠実である」とも感じたい(この場合直視するという行為必ずしも誠実であるとは限らない)、ということではないですよね?

Posted by: えむ | May 05, 2006 07:12 PM

身も蓋もない現実を「直視することがすなわち誠意である」のか「直視するという行為が必ずしも誠実であるとは限らない」のかという2者択一についてでしょうか。ジジェクに沿って考えると、前者とも後者とも少しずれるような気がします。多分以下のように展開します。

身も蓋もないかはどうかはどうでもよく、そこには現実がある(死が人間にとって受け入れがたいか、最終的な救済であるかはどうでもよく、そこに間違いなくあるように)。

それゆえに、現実を直視するという行為が、誠実であるかどうかもどうでもよい。

しかしながら、そのような「空っぽの箱」としての現実(しかもそれはどうやら「身も蓋もないもの」に思われる)を意味づけずにただただ受け入れるのはつらい。

そこで、自分はそれを直視することを誠実だと感じたいという欲望が、身も蓋もない現実を直視するという行為に投影される。

という感じです。僕の読みですが。

Posted by: azuma | May 07, 2006 02:02 PM

なるほど。よくわかりました。いつも誠実にいろいろ教えてくださってありがとうございます。

こうして言葉の意味から問題にしていくと、他分野の人との会話も実は非常に難しいことであるということが身に沁みます。面白くもありますが。この点については、自分もじっくり考えてみようと思います。

Posted by: えむ | May 07, 2006 07:22 PM

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