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学会終了

金曜日から前泊して、土曜日の午前中に分科会発表。日曜日は午後だけ発表を聞いて、そして今日月曜日は研究会のミーティング。今年の文化人類学会もなんとか終了。まっ白な灰になるくらい疲れているのは、公式行事のスケジュールに加え毎晩朝まで飲んでいたからに違いない。

しかし、今更だが学会は楽しい。発表をしたり聞いたりするのはもちろん、最近次第に増えてきた同世代の人類学の友人たちとの交流が素晴らしい。このまま大きな転向でもしない限り、多分あと30年や40年くらいは顔を合わせ続けるだろう彼/彼女たちとの対話から、本当に多くのことを学んでいる。2日目が終了して、「ああ、今年も終わってしまったな」と寂しく思う自分を冷静に見つめ、学会が大好きなんて実はとても狭くてやばい奴なんじゃないかとふと我に返るのだが、まあそれでも楽しいものは楽しいからいいかって思い直す。皆さん、ありがとうございました。またお会いしましょう。

自分の発表について少し。今回は分科会に最年少で参加して、ずいぶん助けられ支えられ、そしていいところを伸ばしてもらった気がする。だから守られていた分、いつもよりもややアグレッシヴさが足りなかったのではないだろうか。発表と質疑応答を終えて、もっともっと完璧なロジックを紡いで僕のメッセージをパーフェクトに伝えたい、そして会場全体を完全に説得したいという支配欲にとらわれた。そのためには、僕の言葉はあまりにも貧弱すぎる。言葉に力が欲しい。誰にも負けない力が。

だからこそ、同世代で立ち上げる共同研究のミーティングには力が入った。既存のフレームに異議申し立てを行うだけではなく、何らかのフレームを構築するような新たな試みがしたい。それを、同世代の人たちと一緒に始めたい。無謀かもしれないが、何か創り出してみたい。どうか、うまくいきますように。

さあ、明日から気持ちを切り替えて、仕事だ。

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Comments

お元気そうでなによりです。
賢太朗の性格から、支配欲に囚われる気持ちはわからないでもありませんが、理系の人間から見ると、人類学という学問において完璧なロジックを構築すること自体がなかなか難しいのではないでしょうか。うまく言えませんがひとつひとつの事実を繋ぐために推察をしているはずで、A→B、B→CだからA→Cと主張しても、いきなりA→Dと考えてしまうような気がします。間違っていたらごめんなさい。
あと、言葉に力を入れるあまり、表現がテクニカルかつ難解になってしまう傾向があるので、本質的に何をいいたいのかがわからなくなってしまう恐れがあります。
なるべく平易で簡潔に伝えることがポイント(特に学生さんに対しては)でそれが難しいと思います。
柄にもなくまじめなコメントを書いてしまいましたが、帰ってきたら呑みましょう。

Posted by: Hal | June 06, 2006 06:26 AM

学会発表は分化会のなかで一番言葉に力がありましたね。伝えることに力をそそぐってとても大事なことですね。私も勉強になりました。でも、公然と正直に支配欲といってしまうところが、けんたろうさんのおちゃめなところですね。

それと飲み会では酔っ払ってたから覚えてないかもしれませんが、日本でも「そんなはずはない、だがしかし・・・・」はありますよ。今日の讀賣新聞の「人生案内」を見てたら、「霊は信じない。だけど夜に聞こえる不気味な人の足音が恐い。」という60代の主婦の相談がありました。それに応えたのは立松和平。「人は心の持ち方で、風景がどのようにも見える」とのこと。
私も学会でいろいろ発表を聞きましたが、日本でも見られることなのに、それはさておいてアウェイばかり論じているものには違和感を感じました。私は人類学ってアウェイを論じるためだけの学問じゃないと思ってます。もちろん発表は彼らの研究の膨大な蓄積の一部だから、それだけみて評価するのは酷なんですけどね。

Posted by: ジュア | June 06, 2006 10:32 AM

>Hal

元気ですか?コメントありがとう。

確かに。まず学生には、というか教育の場面ではメッセージのためのロジックというより、情報をシンプルに伝達するほうが重要ですね。日々、失敗しながら学んでいます。

研究について、Halのように理系的観点からすれば、ロジックの進め方、あとレトリックの過剰と、違和感が大きいのだろうね。僕もよくわからないけれど、やはり事実情報と価値情報の比率が違うということなのでしょうか。

理系と文系の違いもあるのだろうけれど、事実情報としてのABCは実は価値情報である主張としてのDを導くためのパーツに過ぎないという傾向が僕に強く感じられるというのは、この間研究仲間と話していて指摘された部分です。思想とメッセージ性のない研究に意味はないと思うのは変わらないけれど、それが正確な事実情報を歪曲してしまったり、あるいは自分の思想を導くための一元論に陥ってしまわないように、コメントをちゃんと受け止めたいと思います。

ありがとう。そして、次帰ったらまた飲みましょう。

Posted by: azuma | June 06, 2006 02:33 PM

>ジュアさん

学会お疲れさまでした。僕は次の日も徹夜でした。毎年毎年あんな感じだと体が持たないなとやや反省しています。でもどうせ繰り返すのでしょうが。

支配したいという欲望は、自分の言葉が無力だと感じたことの裏返しです。ロジックだけではなく、レトリック、パフォーマンスすべて含めてうまい人は本当にうまいから、悔しいです。

読売新聞の件、たしかに立松さんの言う通りなのでしょうが、どのような心の持ち方をしても、「ひょっとしたら…」という足音への恐怖がかき消せないところこそ人間的ではないのかなと。「心頭滅却すれば火もまた涼し」なんて究極の悟りは、わずかな人にだけ到達できる境地ですよね。

ホームとフィールド(アウェイ)の共通性から人間文化一般について知るということ、確かにもっと強調されてもいいと思います。ある人類学者が、○○村「では」とか××地域「では」など、地域的多元性のみが乱立する状況を「ではの神」と名づけていましたが、何かしらの一般的理解に達する試みは決してあきらめられてしまってはいけないと思います。

が、いらぬことを付け加えますが、一般理解に到達したいという欲望は、逆に私たち/彼らといった他者との差異を前提にしてのみ可能であり、そしてときにその区分を強めてしまう場合もあるのではないでしょうか。一般と個別の問題系は、他者についての感性をすでに要請していると思うのです。

また話しましょう。

Posted by: azuma | June 06, 2006 02:47 PM

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