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それでも、大学に

学会が終わってから、某教科書の原稿を抱えつつ、ゼミやら個別指導やらで柄にもなく教員モードになっている。教育と研究の切り替えをうまくして、バランスがとれるようになると望ましいのだけれど。

そんな中、7月と8月にそれぞれ、高校生相手の授業を担当することになった。1つは県内の高校に出向いての出前講座、もう1つは勤務先のオープンキャンパスの模擬授業。模擬授業は昨年度も経験したので、なんとなく感じがわかるのだが、出前講座の方は大学紹介と講義だけでなく、教員の人生経験や教員になった経緯なども講話形式で話してほしいといわれ、少し悩んでいる。親しい人は知っているだろうが、もちろん、胸を張って話せる立派な人生経験なんて何一つないし、経緯なんて、自由が欲しかったから留学したり進学したりしていたら、気づくと研究者になる道しか残されていなかったという感じで、困ってしまう。時間は通常の模擬授業なら45分のところ、90分も与えられている。大体、土曜日に課外で(多分、半強制的に)出席する高校生が、90分もおとなしく座っているなんてありえない。少なくとも僕が高校生なら、ばっくれるか、それが不可能なら寝ているかどっちかだろう。

そして何よりも、出前講座の目的は、大学進学への意欲を高めることが1つだというけれど、正直僕は高校生に大学進学を手放しで勧められる確信がない。こんなにどうなってしまうかわからない社会の中で、教育が自分を守り高め何らかの保障になってくれるという神話はどの程度共有されているのだろうか。少なくとも、僕は自分に子どもがいたら、大学進学を無条件で勧めることはないだろう。大学でいわゆる高等教育というものを受けながら、就職も含めた未来への不安を消去できない(ように見える)学生たちは、同じくこの先どうなってしまうかわからないという不安に日々怯えていた、2年前くらいの自分とシンクロする(もちろん、今でもその他各種の不安は継続中)。同じ波動の中に、高校生を巻き込んでしまおうというエネルギーはどうしたら生みだせるだろうか。

1つだけ、それほど意味をなしえていないように見える大学に、唯一現段階で確信を持てる機能があるとしたら、それは多分時間の確保だろう。就職したって、フリーターでいたって、同じ量の時間をすごしていくのだが、質的に自由というか、比較的課された義務が少ないというか、若干の重力フリー的状態の中で浮遊するようなあの時間感覚は、大学でも特に不真面目だった人たちには懐かしいのではないだろうか。あの「時間」だったら、大学に来て手に入れられるよって、伝えられるかもしれない。でも、困ったことに、最近の大学生は色々なことに忙しすぎて、そんな「時間」を確保することすら難しいみたいだ。さあ、どうしたものか。それでも、大学に来てもらうためには。

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