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軽率な人類学者

先日、訪れたある家で、おばあちゃんにTuba(ヤシ酒)を勧められた。

僕はサンミゲールビールを除けば、粗悪な安ラムや安ブランデーより、このTubaが気に入っている。ヤシから採れる天然の酒は、午前中から昼ぐらいまでが飲み時で、夕方近くになると酸っぱくなる。日の高いうちから勧められるままにぐいぐい飲んでいたら、いつのまにかおばあちゃんと2人で飲み会になってしまった。75歳の彼女はまだまだ元気で、機会があればこうやって近所からTubaを買って飲むのだという。ペースがとても速い。

世間話をしながらいい感じで酔っ払ってきたとき、ふと75歳なら第二次世界大戦時には物心がついていたはずだと思いついた。自分の研究関心とは異なるが、ちょうどゼミ生がフィリピンで戦争の歴史について調べる予定なので、それほど深く考えもせず当時のこの地の日本軍の侵略について尋ねてみた。しばしの沈黙の後、「Ken、お前はいい日本人だ」とだけ少し笑顔でつぶやいた彼女を見て、僕はすぐ、大きな間違いを犯してしまったことに気がついた。暴力と被支配の記憶なんて思い出したくないに決まっているだろう。語らない、語れない、語りたくない、そんな鮮烈かつ繊細な記憶の場所にずけずけと踏み込むなんて。しかも、加害者側の国籍を有する僕が。

フィールドとホームの往復を続けながら、少しずつ学び続けているはずが、ときに大事なものを忘れてしまったり失ってしまうことがある。その危険に対するセンサーは、絶対になくしてはならない。

すぐに場の雰囲気を明るく取り戻した彼女は、僕のグラスにまたヤシ酒を注いだ。僕は勧められるままに飲み干すしか、その場での自分の軽率さから逃げる方法がなかった。

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おばあちゃんと、ヤシ酒のさし飲み。彼女は強かった…。

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Comments

いい、お婆ちゃんでしたね。
大切にしてあげてください。

爺も、いつも間違いばかりの毎日です。
周りの人の、心の広さで救われています。

気がつけば大丈夫です。

ただ… 爺は思います。

日本の若い人が、いつまでその事実を背負って旅をしなければいけないのか…
51歳の爺も、終戦を知りません。

Posted by: 爺@JASON | January 04, 2008 06:24 PM

私も研究テーマが戦争なので、同じ気持ちをよくいだきます。人には土足で入ってもらいたくない心の領域がありますよね。
調査地で調べているうちに、どうしても戦争を避けて通れなくなったとはいえ、口を開こうとしないインフォーマントがいる時はいたたまれなくなります。
でも、私には歴史的事実が隠蔽されたまま歪んだ戦争観が次の世代に伝えられることのほうが悲しく思えます。
真実は時には痛いし、悪戯に扱っていいものではないけれど、研究者には彼らの傷を背負いながらも、それを聞いて、伝えていく使命があるのではないかと思います。
ただ、ケニアの場合は日本は戦争に関与してないので、その分楽なのですけどね。

Posted by: ジュア | January 04, 2008 07:20 PM

私の高校時代の先生で、フィリピンに駐屯していた方が居たのを思い出しました。
聖書科のお爺ちゃん先生で、とても優しい人でした。

授業の中で、ただ一度だけフィリピン時代の事を話してくれた事があります。

やしの木を二本、ロープでx字に引っ張り合わせて、その間に村長を縛り、村長の子どもを目の前に連れてきて、隊長が言ったそうです。
「スパイの居場所を言わないと、子どもの前で、このロープを切ってお前を二つに裂くぞ」と。

その話をしながら、何度も何度も涙で声を詰まらせ、ゆっくりと、1時間授業をしてくれました。

そんな事を、ふと思い出しました。

Posted by: たんも | January 04, 2008 09:30 PM

私も同じような経験をしてしまったことがあります。
大切なのは同じことを繰り返さないことかと。
忘れてはいけないことを忘れてしまうのがヒトなのかもしれませんが。忘れたくはないですね。

Posted by: pandapan | January 05, 2008 12:30 AM

>爺@JASONさん

コメントありがとうございます。「いつまでか?」という問いに僕個人は、「いつまでも」だと答えたいと思います。ただし、それが過去と現在の間を往復するのに終始するのではなく、過去から現在を線で結んだ先に未来を構想する場合において。多くのフィリピンの人々は、すでにそのようにしていると感じます。

>ジュアさん

確かに、事実は伝えられなければならない。情報は公開されなければならない。そうですね。

やはりフィリピンとケニアでは、日本が直接の加害国であるかどうかが大きく異なるのではないでしょうか。現地では、研究者であることよりも、日本国籍をもっていることの方が重くのしかかってきます。

>たんもさん

コメントありがとう。その先生の、自分(たち)が犯した過去の行為を反省的に振り返り、声を上げることのできる勇気から、現在の僕たちも多く学ぶことがあると思います。

それにしても、語るにはあまりにも残酷な過去の記憶の前に、僕にはやはり沈黙しか処方箋が見当たりません。

>pandapanさん

コメントありがとうございます。僕の場合、成長だと思っていたことが実は失敗だったという経験が多く、一体それは何なんだろうと感じています。人は、学び続けることで成長する、そんな進歩的な発想自体に問題があるのでしょうか。

でも、人生も研究も続いていくので、トライし続けるしかありませんね。また誰かを傷つけてしまうのかなぁ…。

Posted by: azuma | January 12, 2008 06:38 PM

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