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真っ赤な空の下で

ロハスについた最初の夜、滞在先の家族と調査助手のB、それにフィールドに赴任している青年海外協力隊員Oさんを招いて開いた小さな宴。僕の大好きな海辺の(レストランというにはシンプルすぎて屋台というには建物的な)食堂で、大人4人子供3人がお腹一杯食べて飲んで700ペソ(1800円)程度。もちろんはずせないカキを頼んで、水産関係専門のOさんに選んでもらった魚をシニガンのスープにした。おいしくて楽しくて写真を撮り忘れてしまったのが残念。

翌日、Oさんのオフィスを訪ねて、フィールドではほとんど縁のない公務員のお仕事について話を聞いた後、Bの家に行く。調査助手とはいっても、最近では特に彼に調査を頼むことはなくて、どこかに行くときにバイクで連れていってくれて隣にいてくれる。そんなBとの付き合いは、2002年からもう6年。

この6年間、彼は定職に就いたことがない。僕が長期フィールドをしていたときには、ある調査を依頼してそれに対して報酬を支払っていたこともあった。彼自身でも、ときどき短期間のバイトをして稼いではいる。でも、大学を卒業した彼が望むような職業には恵まれず、夫がアメリカで出稼ぎしている叔母と夫が船乗りをしている叔母の家の手伝いをしながら、日々生活している。日本でいうところの、ニートと家事手伝いを足して2で割ったような感じ。そのような人たちをこちらでは "Istanbay" と呼ぶ。文字通り、「待っている」人たち。そして、そういう人たちは驚くほど多い。

春日氏の『<遅れ>の思考』の中にもあったが、ニートやフリーターが待っているのは職業や報酬という具体的な目的であるよりも、なりたい自分とか未来への希望といった漠然とした何か。そういう意味では、この場所のIstanbay達も同じく、漠然と何かを待っている。でも実際のところ、彼らが何を待っているのかはぼくにはあまりよくわからなかったし、今でもわからない。

Bの家で、いつものように少しおしゃべりをしながらコーヒーを飲んでいると、次第に日が沈み始めた。ロハスにいる時間は長いけれど、今日の夕焼けははじめて見るくらいに空が真っ赤に染まっていた。どんどん赤くなる空を眺めながら、「Pula-pula gid ya(真っ赤だね)」とか「Nasunog na(燃えているね)」とか呟きながら、Bは僕と共通の友人であるDの話を始めた。やはりIstanbayだったDは最近、小学校教師をしている彼女との間に子供ができた。子供が生まれてからも、しばらくは親の許しが得られず、彼女は子供と一緒に親と暮らしはじめ、自分の家にも居心地の悪くなったDはBの家に居候をはじめた。彼女の親に認めてもらうためにまじめに働くのかと思っていたら、もともと酒飲みだったDはさらに酒に耽溺していく。Bの家で寝泊りして、Bに食事を分けてもらいながら、毎晩誰かにたかって酒を飲む。Bもさすがに居候の面倒をずっとは見られないので、結局Dは正式に籍を入れることとまじめに働くことを条件に、親の許可を得て彼女と暮らしはじめた。でも、誰も何も急には変わらない。彼女の小学校教師としての給料に支えられながら、子供はミルクを飲み、Dは酒を飲む。

「あいつはさ、お金が少しだけあるときは酒を飲んで、お金がたまにたくさんあるときだけミルクを買うんだよ」とBは苦笑いしながら僕に言う。「Istanbayなんだからさ、子供のミルクも自分で買えないのに結婚とか無理なんだよ」というBに、そういえば最近好きな子はいないのかと尋ねると「Indi ako ma-entra(俺はそういうのには参加しないんだ)」という答えが返ってきた。

仕事がないのに子供を作って結婚したDと仕事がないから結婚しないB。それに仕事があっても結婚しない僕。労働することと生きていくことが、ほとんど齟齬なくほぼ同義の日本にいると忘れてしまうのは、実はその2つがまったく別物だということだ。過去に自分で立てた目標を現在も引き受け未来を選択しながら変えていく。そんな近代的主体たちのゲームの中では、僕は多分比較的うまくやっている方なのだろう。でも、この真っ赤な空の下で、日本のニートと似ているけど少し違ったIstanbayたちを横に眺めながら、彼らが何を待っているかわからないのと同じくらいに僕自身は何を待っているんだろうかわからなくなってきた。相変わらず何が正しくて何が幸せかなんてわからないし、これまで自分が信じて今もそこに参加して多分この先も続いていくだろうゲームからいったん降りてしまうことができたらどんな気がするんだろうと、ふと考える。

でも、頭の片隅にはIstanbayってリスク人類学にとって、とても興味深い対象だなんて思っている僕もいる。結局、降りることなんてできやしないんだろうな。

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Comments

俺、今ニート君です(笑) 「リスク人類学」とやらのインフォーマントにいつでもなりますよw

Posted by: ノリタケ | May 07, 2008 07:29 PM

はじめまして。前からちょくちょくお邪魔してました。pandapanさんに教えていただきました。今回、「労働と生きていくことがほぼ同義」なフレーズに引かれてコメントします。
私もしたいことを職業として、報酬をいただき、おいしいものを食べおいしいお酒を飲める毎日。でも・・・刻々と変わっていく状況の中で自分にとって何が大切なのか、幸せなのか取捨選択していかねばならないのに、流されて何かを「待っている」ような気がする今日この頃です。
良かったら私のブログも見に来てください.

Posted by: netzi | May 07, 2008 09:38 PM

素敵な出会いをお持ちなのですね^^
色んな人間模様をみながら、自己を見つめる。
何をもっているのか?何を目指しているのか?
ひとは日々成長し続けるのですから、時には分からなくなるものだと、私は思っています。
(っていいわけかな?笑。)
今という時間が好きなのだったら、続けたらいいのだと思うし、
そんな今をもって過ごしている、Azumaさんは、幸せなのだと思いますよ

Posted by: Mikarin | May 07, 2008 11:01 PM

環境が違うと、思うこともまた変わってきますよね。

朝目覚めたら知らない町、あるいは求めていた場所にいる。
そんな始まりの一日だったら、不安も含めて、楽しむことができるのだろうなぁ。

未定な未来。これからのゲームを白紙ならではの楽しみ方で過ごせればいいなぁと、ふと考えました。

素敵な未来が訪れるといいですね。

Posted by: 0210 | May 08, 2008 01:06 AM

>ノリタケさん

実はリスク人類学の構想の中には、(特に若手の)研究者がおかれた(就職問題も含む)高リスク状況が大きく影響しています。また今度、ゆっくりお話したいです。

>netziさん

はじめまして。ブログ拝見しました。素敵な(そしておいしそうな)日々ですね(笑)。

日常の幸せを喜びながら、別の場所にある何かへの感性を鈍くしないこと。難しいけれど大切ですよね。

>Mikarinさん

他者から学び自らが成長すること、その機会が与えられているのはとても幸せなことだと思います。と同時に、自分の幸せのためだけに存在しているのではない他者へのセンサーを磨き続けていきたいとも思います。ありがとうございました。

>0210さん

異国で他者とかかわりながら、日常のなかで硬くなってしまった心のひだをほぐしています。でも、それができるのは帰るホームと待っていてくれる人がいるからでもあります。

素敵な未来になりますように。

Posted by: azuma | May 09, 2008 03:31 PM

バナナさん(Sagingさん)とこからお邪魔しました!
http://www.geocities.jp/dondokodon41412002などという恐ろしいウェブもあります!
マニラを拠点に10数年、滞在していた中で、けっきょく私もIstanbayの心地よさに魅せられてしまったのかも知れません。「労働はあらゆる富の源泉」とはいわれても、実体経済がかぎりなく否定されつつある(その分、マネーゲームはさらなる隆興を極めつつありますが)現在、社会はもはや労働の道徳的な価値そのものを否定しつつあるかのようですから。遊民であることを否定もせずに、のんびり暮らしていこうと思いますが…。

Posted by: 短矩亭 | May 11, 2008 05:30 PM

>短矩亭さん

はじめまして、でしょうか?コメントありがとうございます。僕もほぼ同感です。

後期近代の労働は、その意味や倫理への問いを全て拒否しながら、ますますそれ自体を目的化している気がします。「生きるために狩る」という原初的な動物回帰なのか、それとも全ての超越や根源を断ち切られた自動機械の運動なのか。いずれにしても「降りる」選択肢だけは、つねにどこかに確保していたいと願います。

Posted by: azuma | May 13, 2008 01:48 PM

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Tracked on May 11, 2008 04:32 PM

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