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こんなゲームでも

自己実現や目的の達成だけがなすべきことだと思っていた20代は終わり、今の僕は目の前に次から次へと現れる予測不能な<他者>との折り合いをいかにつけていくか、それだけに追われている気がする。

友人や恋人、家族との親密な間柄、それに研究や仕事上の付き合いなど、自分以外の誰かとの関係性は喜びである以上に苦しみでもある。人生は、明日も30年後も同じくらいにまったく予想がつかなくて、予想したところでどうせ制御不能で、そんな未来がリスキーで不安で、自分のものですらないような気がしてくる。そもそも、僕が投げ込まれてしまったこの「世界」自体が強烈な痛みと悲しみに満ちていて、思わず「ありえない」という言葉が漏れてくる。

深い愛情と信頼、願う夢をかなえること、そして世界の変革。そんな他人や未来や世界という<他者>に、自分の希望や欲望を投影することを諦めてしまって、いかに降りてしまえるか。ここ数年、僕はひそかにそんなことを考え始めていた。永遠にずれ続ける<他者>との関係性の中で、ただ波に揺られながら漂っていけたらどんなに心地よいだろうか。

逃避というならいえばいい。あらかじめ設定されたルールを遵守してゲームを続けることを所与のものとすれば、それはそうなんだろう。こうしたい、こうしてほしい、ああなれば、という<他者>への欲望に忠実に、ネオリベ的な自己責任と自己決定の主体として。でもそれがどれだけ自分にも他人にも残酷なことでありうるか。勝つか負けるか、成功か失敗か、gainかloseか、続けるか追い出されるか。Betterであることがbetterだからという信念は一体どこからやってくるのか。なぜworseであることはworseなのか。際限のない実現や到達や達成や向上を追い求めるゲームは、決して亀に追いつけないアキレスかニンジンをぶら下げられて走る馬のよう。僕にはどうか、降りる自由をください。

すごく長くなったけれど、ではなぜそんな僕がまだかろうじて他人と、未来と、世界と結び付いているのか。何が僕を引き止めているのか。それは、「この人たちとならそんなゲームをあえて続けてもいい」と思えるようなつながりなんだと思う。例えば、一昨日のみんなの応援。例えば、昨日のにぎやかなお好み焼き。やはり完全に降りてしまうことは、まだできない。そして、もう少しだけ、もう少しだけと続いていくのだろう。

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Comments

俺は強制的に降ろされた。

今ならまだ間に合う。

降・り・ち・ま・えw

Posted by: ノリタケ | June 28, 2008 06:18 PM

>ノリタケさん

本当に、降りられたら楽なんでしょうけれど(笑)。

何とかやり過ごしながら、生きていけたらいいですね。

Posted by: azuma | June 28, 2008 06:58 PM

言うまでもなく、「フリダシ」や「リセット」のないGameってリアルな世界ならではですね。
いつゲームオーバーなのかも分からない、そしてどの点にいてもそこは安全ではない今をずっと生き続けるのって疲れることのようですが、そのふわふわしつつ進んでいっている感覚が大好きです。
東さんの頭を覗いてみたいです。「お邪魔します~」って。

Posted by: SKY | June 29, 2008 12:34 AM

>SKYさん

コメントありがとうございます。

きっとあなたはとても強い人ですね。でも、リセットすることばかりが降りる方法ではない気がします。前に進まなくても、敵をやっつけなくても、ステージをクリアしなくても、そのゲームを続けることは可能でしょうか。でも「ふわふわ」進むって何かいいですね。

僕も覗いてみたいです、自分の頭の中(笑)。「マルコヴィッチの穴」みたい。

Posted by: azuma | June 29, 2008 01:08 PM

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