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苦手なこと

好きなことや嫌いなこと、得意なことと苦手なことは色々あるけれど。

お金が苦手だ。マルクスや柄谷行人を読む前から、それ自体は何も価値を有していない単なる交換の媒介でしかないはずのものが、生活の全ての領域の中に徹底的に埋め込まれながら、神か悪魔かというくらいに神秘的な「意味」をギラギラと発散していることに、漠然とした薄気味の悪さを感じていた。

お金自体も苦手なら、お金にまつわる様々な手続きもとても苦手だ。支払うこと、数えること、計算すること、分配すること、貸すこと、借りること、返すこと、返してもらうこと。お金をめぐる諸々の話題もすごく苦手だ。物価のこと、値段のこと、銀行での引き出しや振込み、株取引、資産運用、給料の額、その他。

親は、小さな会社を経営していた。バブル期頃はそれなりにビジネスが順調で、小さい頃から家庭の中の会話の多くの部分がお金についてのものであったし、最初に勧められた職業は税理士だったし、何年間かは会社を手伝って経理を担当していたこともある。稼ぐことと儲けることを至上命題とし、より高価なものやより豊かな生活を手に入れて、さらに幸せになるというシンプルな価値観が自分の親密圏を取り囲んでいたことが、想像以上に僕の心の外傷となっている。お金はできるだけ見たくないし、扱いたくないし、それについて話したくもない。

昔、まだ学生だった頃に、就職していた友人に言われたことがある。「お金を稼いで、裕福になって贅沢をする。そのために俺たちはがんばって働いているんだ。お前は学生だから、そのシンプルな真理が分からずにまだ夢物語を語っている」。そうかもしれない。そして、僕は今でもその「シンプルな真理」がわからない。むしろ、今の職場に就職してから、年金や健康保険や税金など、色々直接お金に関わらなくてもいい状況になって、よりわからなくなったかもしれない。そういう意味では、今の職場はとても快適に感じられる。

そんな僕が否応なく、直接的に、しかも少なくない額のお金の使い方を計画し、計算し、予算を配分しなければならない時期がある。いや、お金を計算するどころか、そのお金が僕にとって絶対に必要不可欠であること、さらにどうにかしてそれを僕にくれるように長々と説明する文章を書かなければならない。そう、それは科研費の申請だ。

何にお金を使うのか、どうしてそれが必要なのか。心の傷の疼きを感じないように、スイッチを完全にオフにして、ひたすら合理的に適切な予算計画を立てる。この道で生きていくためには、勝ち取っていくしかないらしい。お金は本当に苦手だけれども。

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Comments

今私が置かれた状況だと、別のシンプルな理解ができます。

食うために金がいる( ̄▽ ̄)

・・・やっぱ、金って嫌ですねぇ。

Posted by: ノリタケ | October 21, 2008 10:59 PM

>ノリタケさん

本当に、お金は苦手です。

Posted by: azuma | October 22, 2008 03:41 AM

あなたは以前、なにかの産業のグローバライゼーションについて話していた私のことを、「そんなネオリベ的な、」とか罵ったことがあったと思います。お金が苦手だ、とか、気味が悪い、とかお感じになるのはもちろん勝手ですが、そうだからと言って、お金に対して自分と同じような態度を表明しない相手を否定的に非難することは、学者の態度ではないと思いました。
失礼ながら、「ネオリベ的」という言葉は意味が曖昧なまま(少なくともあなたの用法には自分は論理性を感じません)一人歩きしているマジックワードだと思います。この辺りの現象については、仲正昌樹さんの「宗教化する現代思想」という最近の本が詳しいので一読を勧めますが、まず感情的な嫌悪感ありきで、それなりにお金について真面目に考えようとしているこちらを論理的でなく批判されたのは、研究者として不誠実な姿勢と思います。あなたが読まれたという柄谷にしても、彼の経済観をまともに批評に値すると思っている経済学者を自分は寡聞にして知りません。むしろ昔からある宗教的なコミューン運動のプロパガンダに近いものではないですか。実践までされたかは知りませんが。
お金をどれだけ苦手にされるにしろ嫌われるにせよ、失礼ながらあなたはそれを論理的に説明して違う考えの人間と対話するには、余りに労を厭うて「お金についてまともに考えること」に対して食わず嫌い的状態にいると思います。それで他者を「ネオリベ的」とレッテルを貼ってことたれりとするのはおかしいと思います。
私はその御友人の「シンプルな真理」など「真理」と呼べるなど毛頭思いません。ただの「あるひとつの生活観」だと思います。それを好む人もいるでしょう、嫌う人もいるでしょう。どちらの価値観だろうがかまわないと思いますが、それは、疑似学術用語を使って他者を非難するようなこととはまるで噛み合わない暮らしについての好き嫌いのレイヤーに属するものです。あなたは、自分のその好き嫌いに属する価値判断を(それ自体はこちらの知ったことではありませんが)、「ネオリベ的」などという使い古されたジャーゴンを利用して他者をくさすのに使ったという時点で、不誠実と思います。
そしてこれは、今後のあなたの研究で応答するとか出来るとかそういうものではありません。あなたは研究と関係のない次元の好みの問題を研究に関係しているイシューである振りをして口走っただけです。自分はあなたに謝罪して欲しいと思っていないでもありませんが、そもそもあなたは「謝罪を求める」に値するほど論理的な方か、懐疑的でもあります。

Posted by: エム | October 22, 2008 12:47 PM

>エムさん

いつもコメントありがとうございます。あなたの批判から自分の課題を見つけ出すことは多いですし、またご自身の違和感をストレートに他者への「問い」として提示する誠実さを尊敬しています。

ただ1つ、お願いがあります。このブログの読者の中には、個人的に僕と面識がある人もない人もいます。当然ですが。それをふまえ、僕の個人的なある言動や行動について言及するコメントはできる限り控えていただけないでしょうか。

僕をリアルに知っている家族や友人、知人がみんな、「お前ブログにこんなこと書いているけれど、あのときああ言っていたじゃないか」とか言い始めたら大変なことです。また僕にも最低限のプライバシーはあるでしょう。

今回に関しては、エントリーを再読していただければ分かると思いますが、僕は一度も「ネオリベ」という言葉を使用していません。その発言自体もう忘れてしまいましたが、それについてのご批判やご意見は別の機会にするべきではないでしょうか。付け加えれば、他の読者たちにとっても、僕が実際にその発言をしたかどうかが判断できない状況では、あなたのコメント自体の価値を判断することもできないでしょう。

そして最後に。僕はお金が苦手ですが、それはあくまで自分の足りない部分であって、誰かを批判する気は毛頭ありません。最近、素晴らしい仲間達に恵まれ共同研究を進めていますが、その中で予算や会計の手腕に優れている人たちを眺めつつ、ああ自分ももっとお金について学ばなければと痛感しています。

Posted by: azuma | October 22, 2008 01:14 PM

質問でエントリーにない個人的な言動について触れたことについては、失礼しました。今後はそういうコメントは控えます。ただ、こちらから既に書き込んだコメントを消すことはできないようですので、お気に触れた点はどうかそちらでコメントを消して下さるようお願いします。

それと、自分は「ネオリベ的」と自分が批判された記憶は鮮やかにあるのですが、それについて客観的な記録を保存しているわけでもありません。批判するにしても「別の機会」が到底、大兄と自分の間に今後あるとは思えないので、唯一の可能性としてこの場をお借りした次第です。

それと、これは御自身でエントリーにも書かれたことにも関連するので、ここでそれに触れることも妥当と思いますが、Azumaさんの「想像以上の心的外傷」には御同情申し上げますが、例えば仮に一般論として申し上げますが、仮に非常に優秀な方がいて、その方が「親が自分に薦めたが自分は行かなかったその大学のその専門分野」に行った他者にたまたま会って、その他者に対して、「自分があなたならそんな人生は選ばない、他の道を自分は選んだ」と、酔いに紛れておっしゃったことがあったとしても、それは冷静でフラットな批判だったのではないのではないかと自分は思うのです。一般論として、そういうことを言う人がもしいれば、それは親御さんに言いたかった言葉を他者にぶつけられたのではないのか。

しかし一般論としても、もしほとんど初対面の他者にいきなり「自分があなたならそんな人生は選ばない、他の道を自分は選んだ、あなたのような人生など自分には考えられない」と言われた他者の側から見たとしたら、それは理不尽な論難ではないでしょうか。人それぞれ言葉にしきれない、意識の底にしまっているような、数え切れない事情や状況の違いがあるのではないでしょうか。

そして一般論として、そういうことをいきなり言われた他者の側は、言った人の側の文脈を切り取って説明されても、虫の良い自己正当化と思うこともあるのではないでしょうか。

一般論としても、他者の内心のプライヴァシーや価値判断に、どちらが本質的に土足で踏み込んだか、自分にはAzumaさんと違う意見があります。

このコメントも、ご覧になれば、どうか抹消して頂ければと思います。Azumaさんの目にさえ触れれば自分は満足です。

Posted by: エム | October 22, 2008 03:55 PM

>エムさん

コメントの削除はこれまでしていませんし、これからもする予定はありません。

ご批判をいかしつつ、今後の研究およびより一般に他者とのかかわりについても、精進していきたいと思います。

ありがとうございました。

Posted by: azuma | October 22, 2008 04:21 PM

「ご批判を活かしつつ」とか、「研究で応える」とか、「精進する」とか、そういう言葉を使うのはどうかご存分になさいませ。言葉はただですから。

Azumaさんが「他者と出会い関わりながらその冷酷なまでの「わからなさ」の先にともに未来を想像する」と書かれるとき、言葉の美しさに自分は貰い泣きしそうになります。言葉って便利ですね。

気付きました。お金は少なくとも「交換の媒介」ではありますから、交換に際しては必ず交換に関与する両者間の対称性を指向するツールたらんとする(でなければ「交換の媒介」たり得ませんから、まあトートロジーなのですが)。他者と交換する上では対等な関係性を支援するものです(対等でないならお金なぞいらず、奪えばいい)。
いっぽう言葉は、語り手と語られる対象の間になんの対称性も指向しない。片方が綺麗な飾り付けを一方的に行うことも自由自在で、片方だけでなんとでも自足できるものですね。自分にはよほどその方が、「心の傷の疼きを感じないように、スイッチを完全にオフにして」でなければ使えないツールと思います。

先日お目にかかったある人類学の年配の先生、放送大学の先生だそうですから大御所の先生かと思いますが、「人類学は神の視点に立った神の学問だから」と自分におっしゃいました。なるほどと思いました。お金儲けについての学問は、交換の相手がありますから、なかなか自分ばかり神の学問にはなれません。

いつも綺麗な言葉を、ありがとうございます。

Posted by: エム | October 22, 2008 06:25 PM

雨 潸々(さんさん)と この身に落ちて
わずかばかりの運の悪さを 恨んだりして
人は哀しい 哀しいものですね
それでも過去達は 優しく睫毛(まつげ)に憩う
人生って 不思議なものですね


風 散散(さんざん)と この身に荒れて
思いどおりにならない夢を 失したりして
人はかよわい かよわいものですね
それでも未来達は 人待ち顔して微笑む
人生って 嬉しいものですね


愛 燦燦と この身に降って
心秘そかな嬉し涙を 流したりして
人はかわいい かわいいものですね
ああ 過去達は 優しく睫毛に憩う
人生って 不思議なものですね
  

ああ 未来達は 人待ち顔して微笑む
人生って 嬉しいものですね

Posted by: | October 23, 2008 02:21 PM

>名無しさん

美空ひばりですか?以前職場で飲みに行って、理事長が歌ったので覚えています。

いい歌ですね。

Posted by: azuma | October 23, 2008 06:23 PM

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