考えろマクガイバー
昨日の飲み会は、僕と事務職員さんたちと司書さんと理事長、っていうすごい面子で、何だかよくわからないけれどずいぶん楽しくて、もつ鍋を食べながら酔っ払ってしまった。
その会で、大学図書館の司書さんとちょっと話し込んでみた。さすがに本のプロだけあって、同じく本を商売道具として扱う立場からも、色々と勉強になった。うちの大学図書館は、最近ビレバン風にお勧め本の紹介などしていて、学生が本を知り、手に取り、ページをめくるきっかけとなる素敵な試みだと思う。今どきの学生は本を「読まない」、のではなく今どきの学生は本と「出会わない」のだと思った。
で、話の中にも出てきたのだけれど、伊坂の『魔王』が文庫化されて、「読みました」という声をよく聞く。昨日の講義でも、「わかりません」っていう学生のリアクションに「考えろマクガイバー」の話などしてしまって、相変わらず伊坂ファン丸出しなんだけれど、ただ僕は実は『魔王』の世界観にはあまり共感できていない。犬養という独裁者によるファシスト政治に立ち向かう特殊能力を持った兄弟。セッティングは相変わらずぶっ飛んでいて、でも(前の前の総理時代を髣髴とさせる)日本政治のポピュリズムとも取り組んでいて、相変わらず一気に駆け抜けるように読ませてくれる。
ポピュリズムもファシズムも確かに思考停止状態から生み出されるだろうし、そうやって流されていってしまう世界に対して自分の頭で考えて決定して行動するというビジョンはすばらしい。でも残念ながら、この社会のひどさやきつさは、そんな全体主義ですら個々人を吸収できないところにあるんじゃないだろうか。誰かや何かに今日と明日の全てを預けてしまえるような絶対の信頼。危険は危険なんだけれど、でもそれはある意味個々人の実現や達成への努力が全てくじけてしまった後の、最後の最後の希望だともいえる。共産主義だとか独裁者だとか国家だとか神だとかアルマゲドンだとか占いだとかスピリチュアルだとか。実在していてもしなくても、何か大きな物語を信じてそこに自分のライフを全て投げ出してしまうような「前向きさ」が、僕たちの社会に残されているだろうか。
むしろ、どんな物語だって結局最後には破綻してしまうって、みんなが完全に理解して諦めきってしまっているから、いまここにいることが、きつい。何も信じられないし、どんな物語を経由しても他者とつながることはできない。自分はたった独り、剥き出しのまま世界に投げ出されてしまって、怖くて不安で救われたくて、小動物のようにブルブル凍えて震えていて、だから完全にひきこもる。他者との関係性を極限までミニマイズして、自分の小さな島宇宙の中でただただ時間が通り過ぎていくことを待っている。バラバラに分断された個々人の不安が生み出す相互不信と排除。ビックブラザーによって社会が管理されているんじゃなくて、僕たちみんなそれぞれがリトルブラザーとなって、お互いを監視しあいながら生きている。じゃあ、どうやってここからどこかへと脱出できるんだろうか?
そんな絶望的な社会の中で、「全体主義に立ち向かう特殊能力を持った個人」っていう構図が、むしろユートピア的に見えてしまった。そんなところだろうか。伊坂がいつもかっこいいのは、法やルールでは規定できない、いつか到来するかもしれないオルタナティブな「正義」がありうるかもしれない可能性を僕たちに夢見させてくれるから。でも、『魔王』で示された「正義」は、全体主義という恐ろしい敵に立ち向かうスタンダードな正義であって、そんな素朴な正義なら別に僕たちはつねにすでに手に入れているだろうし、そしてその正義は他者にとっては強烈に徹底的な悪だったりもする。そういえば、こちらは密かに大好きな阿部和重の『ニッポニアニッポン』で少年がトキを盗み出そうとする革命計画は、同じく国家という全体に対する個人のはかない抵抗だった。そちらは多分誰にも共感されず単なる犯罪だとされてしまうけれど。
ともあれそれでも、これだけ「考えろ、考えるんだ」と僕たちに呼びかける伊坂の作家としての実力は疑う余地がない。ちょうど最近出た『モダンタイムズ』は『魔王』の続編だというので、買って読んでみようか。公立大生の誰か、特別版と通常版2冊、図書館にリクエストしてください。みんなで読みましょう。
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