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研究室にいること

朝、2限の授業を終えて研究室に戻ると電話が鳴る。昨日の市民講座の受講生の方。アンケートに書いた内容がちゃんと伝わるかどうか心配で、わざわざ電話を掛けてくれたそうだ。人生のかなり先輩からの心のこもった気遣いに感謝。

午後は3組の学生面談。人と会ったり話したりするのは苦手ではないけれど、毎回それなりに気の効いたコメントを言わなければならない面談は、いくつか続くとそれなりにきつい。がんばって、発表当日までに、うまくまとめてきてください。

ところで、僕は仕事に関して、全てメールで済ませてしまえるのであれば、あえて面会や電話の必要はないと思っている合理的な人間だ。それでも業務内容によっては、やはり直接会って話したり電話で確認しなければならないこともある。個人情報やプライバシーが関わるときなどは、なおさら。

また仕事上でも直接的なコミュニケーションを求める人たちが一定の割合で存在するのも事実だろう。「さっき送ったメール見ましたか?」という電話を受けたりすると、「リアルタイムじゃなくて、タイムラグがあってもやり取りが出来るのがメールのいいところなのに…」と思うけれど、急いでいるのか確認したいのか、あるいはただ話したかっただけなのか、とにかくその人にとっては必要なことなんだと思う。

研究室という個室は、一人で集中して作業を行うために与えられているのだとずっと考えていた。でも思い返してみると、研究室にいる時間の多くはメールで事務的な連絡をしたり、同僚と電話で打合せしたり、学生と面談したり、かなりの部分他者とのコミュニケーションのために開かれたスペースとなっている。関わるための遮断。開かれた閉鎖性。パブリックなプライベート。よく考えれば研究室って不思議な空間だ。

締め切りに追われているときなど、学生への応対や事務局からの内線でも落ち着かないのに、営業の電話や訪問が相次ぐと逃げ出すか引きこもりたくなるし、時々実際にそうしてしまうときもある。それでも、まあまあ居心地のいいこのスペースにできる限り「いる」ということは、この仕事を続けていく上でそれなりに意味あることなんじゃないかと、最近少し考えている。

最近、少しずつものが増えてきた。

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Comments

いやー充実ですね!

こちらは和気藹々、小規模の大学ですが、神学部単科で社会科学系の専門に進む学生が皆無で、卒業研究の相談などで人がくることもめったになく、研究室はすっかり静寂を求めてこもる場所、というほとんど修道院の個室のようになっています(笑)書庫があるのは、ちょっと違いますが… そもそもうちの大学は全寮制で、男女共学とはいえ修道院っぽいかもしれません

でも、Azumaさんのお話を読むにつけ、こんな自分の現状は、部分的には、学生指導上の怠慢のせいもあるかな、と思ったりもするので、ちゃんと仕事しなきゃ、と反省させられもしたのでした。

Posted by: Sammy | November 11, 2008 03:23 PM

>Sammyさん

コメントありがとうございます。

今日は長丁場の会議で疲れきっています…。

ときどき学生が話しに来たり人が訪ねてきたり、気分転換になっていいのですが、やはり基本は修道院の方がいいと思いますよ。どうしてもこもりたいときは「瞑想中」の掲示を出しています(笑)。

うちは宗教色がなくて行政のにおいがつよいので、修道院というより留置所って感じですけれど。

Posted by: azuma | November 11, 2008 07:34 PM

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