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ギャンブルみたいに

"Daw sugal, bala?"(博打みたいな感じ、でしょ?)

数年来の親友Bunaは、ここ数年ロハス市で不定期や非正規の短期雇用にときどき従事しながら、基本的には不労状態にある、いわゆる典型的なIstambay(イスタンバイ)だった。アメリカに出稼ぎの夫をもつ比較的裕福な叔母の家で家事や雑事を手伝いながらサポートを受け、日々の生活を送っていた。

彼とは2002年から2003年にかけて行った長期調査中に、ロハス市中の全ての小聖堂を回って質問紙を配布回収し、写真を撮ってくるという調査を委託して以来、僕がロハスに戻ってくるたびに一応「調査助手」という役割を担ってくれている。それだって、報酬の取り決めがあるわけでもないし、年に数回のことなので大した助けにはなっていないだろう。

ただ、日本人である僕との長年の関係が、彼の人生や生活への構えにある程度影響を与えたことは否定できない。僕の友人や後輩、学生との付き合いも含め、何気にロハスではかなりの日本通ではないかと密かに僕は思っている。

そんな彼が、最近介護士の専門学校に通い始めた。大学を出てから7年ほど、学校に通うこと自体が新鮮であり、また大変でもあるという彼は、介護士資格を取得した後は、他の多くのIstambayと同じく国外出稼ぎを望んでいる。そして、今後増えていくであろう日本への介護士出稼ぎも、もちろん彼の大きなターゲットになっている。でも残念ながら、彼が日本であれカナダであれ、介護士として出稼ぎできる確率は非常に低いだろう。出稼ぎに行くには、資金とコネと情報が不可欠であり、そのどれも彼には欠けている。

先日、Bunaがお使いに出かけたとき、彼の専門学校の学費を支援している叔母さんとゆっくり話す時間があった。僕も彼女も、顔はとても凶悪だが心優しく皆に好かれている彼の将来をともに案じている。日本行きについてできる限りの協力と情報の提供を約束する僕に対して、「私が支援できるのは専門学校の学費まで」と彼女は言う。たまたま次男が体の調子を壊して今学期は大学を休学しているのもあり、「このままでは未来がない」と思われるBunaに「その気があるなら」と学費支援を申し出た。けれども、それ以上のサポートは難しいという。

そんな彼女が僕に言ったのが冒頭のことば。「博打みたい」なのは、介護士資格を取得した後、「彼が幸運なら出稼ぎにいける。もし不運ならいけない」という状況を指している。そういう彼女の表情に、自分の支援に限界がある残念さと諦めに加え、いたずらっ子のような不思議な笑顔があったのが引っかかった。まるで、「また負けちゃったよ」とはにかむ競馬かパチンコ好きのおじさんみたいに。

日本のフリーターやニートの議論を追っていると、そこには「自分探し」というキーワードが常に付きまとっている。本当の自分を探すため、あるいは自分に最も適した生き方を見つけるため、転職や不労を継続する日本の若者たち。フィリピンのIstambayとほぼ変わらない状況にある彼/女たちには、それでもIstambayとは決定的に違う部分があるとなんとなく感じていた。でもそれが何の違いなのか、よくわからなかったのも事実だ。でも、Bunaの叔母さんの「博打みたい」という発言で、何となく少し、手がかりが見つかった気がする。

ニートやフリーターが「自分探し」を続けながら求め続けるのは、「そうあるべき」や「そうあるはずだった」自分の状態だといえるだろう。「本当の自分はこんな人生/生活/職業/ステイタス/賃金であるはずがない、本当はもっと違うはずだ」と現状を否認しながら、あるべき自分を求め続ける。もちろん多くの例外はあるだろうが、少なくともニートやフリーターを取り巻く言説は、「自分探し」という呼びかけによって、「本当の自分」というイデオロギーへの欲望を駆り立て、その中に否応なく巻き込んでいこうとする。そこには「本当の自分」以外の選択肢はない。

それに対して、「博打みたい」なIstambayは決して「本当の自分」を求めたりしない。むしろ、「現状の自分」はもちろん「本当の自分」でも決して到達しないようなまったく違うあり方、すなわち「いまだかつて到来したことのない自分」に向けて、待ちの構えとギャンブル的な投機を組み合わせながら未来を思い描いている。それは「本当の自分」という既知に対する欲望ではなく、むしろ「本当の自分」からつねにズレ続ける不明性や非知に対して常にひらかれていようとする希望の方法だといえないだろうか。与えられた選択ではなく、いまだかつて知らない別種の選択肢、すなわちオルタナティブへ。

「博打みたい」といったBunaの叔母さんがすぐその後に、「まあ、フィリピン人の人生全てが博打みたいなものなんだけれどね」とまた微笑んだのは、ちょっと出来過ぎのストーリーだろうか。僕の大好きなギャンブラーたちに、いつか心臓が止まるくらい驚くほどの幸運が訪れますように。

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お土産の芋焼酎を飲むBuna。やはり顔は凶悪。

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