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葛藤とイデオロギーの先に

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青い空と海、白い砂浜、はしゃぐ子どもたち、そしてサンセット。どこから撮っても絵になってしまうから、逆にどこを撮ればいいかわからない。世界有数のビーチリゾートでカメラを抱えて立ち尽くし、途方にくれている。カメラマン修行中の卒業生をここに連れてきたい。彼なら、この島のどこを、何を、どのように切り取るのだろうか。

今、ボラカイにきている。しばらく来ていなかったと思って、以前のフィールド日記を見直してみると1年半ぶり。懐かしい人たちとの再会を果たし、この間の変化を少しずつたどり直す。小さな移動や新しく知り合う人もあり、コンスタントに通うことの大切さを再確認する。

ハイシーズンということもあり、毎日快晴で抜群に美しいビーチを毎日歩きながら、当然ながらその環境の中で、環境に適応したり翻弄されたり抗ったりしながら生きている人たちの営みに関心が引っ張られていく。美しいビーチと裏腹に、政治、経済、文化の差異に起因する葛藤が島のいたるところで生じていて、そういう一面がある程度見えてしまう場所にいるからこそ、イノセントに楽しむ韓国客の姿すら斜めに眺めてしまう自分がいる。

最近気づいたのは、人類学者としての自分には、フィールドに生じている葛藤や、そこに浸透しているイデオロギーに特に注目する傾向があるということ。そこでは誰と誰が敵対関係にあるのか、誰が誰を支配しているのか、誰が誰に抑圧されているのか、どのような支配的なイデオロギーが差異や格差を生み出しているのか。90年代に人類学を始めた人ならば誰でも気を払う「政治性」や「権力」の問題だといえるのだろうが、それにしても僕の執着はパラノイア的に感じられる。どこに行っても争いや諍いを探しているのではないか。一体、どんな欲望に突き動かされているのか。

だからこそ、葛藤やイデオロギーにまみれたこの世界のどこかに、それを突き抜けたなにか手触りの「リアル」なものを感じることができたとき、僕はなんとなくそのフィールドである到達点に達したと感じることができる。博士論文で扱った呪術や宗教については、ものすごくイデオロギー的でものすごく葛藤まみれのフィールドで、その中でも、その中だからこそ必死に祈り、必死に願い、必死に希望する人々の「リアル」に触れたということが結論への導きになっている。

今ボラカイで、世界有数のビーチリゾートで、日々美しい自然環境に取り巻かれながら、未だに葛藤とイデオロギーに飲み込まれたまま、その先に行くことができない。この島の「リアル」はどこにあるのか。現在、フィールドワーク、最高潮に停滞中。

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「移動」する浦島太郎

名古屋に戻ってきたのが昨年の3月末。

それから、前期の授業をして、プロポーズして、宮崎で集中講義をして、フィリピンに行って、後期の授業をして、年末年始をアメリカで過ごして、センターだとか入試の仕事をしたら、いつの間にか年度末になっていた。その間、いくつか論文を書いたり、著作出版の準備を進めたり、前任校の最後のゼミ卒業生の卒論を指導したり、車を買い換えたり、両家の顔合わせをしたり、その他公私に渡るさまざまな仕事をこなしているので、けっしてボーっとしている間に「あっという間」というわけではないのだけれど、それにしても驚くほど早かった。

本当に不思議な感じだった。僕にとっては生まれ育った街にまさに「戻ってきた」という状況なのだけれども、人も場所も環境も状況も何もかもが大きく変わっていて、その持続と変化の混ざり合ったパラレルワールドの中で、僕自身のリアリティがねじれたり分離していくことを幾度も感じた。まるで浦島太郎のように。同じなはずなのに、あれこうじゃなかったっけ、いやもうそうではないのだろうか。もう違うのだから、じゃあそうしようか、これでいいのだろうか。もちろん悪いことばかりではないけれども、それは少なくとも何か「安心」できる共同性や関係性の中に抱かれているような感じではない。故郷も家族も母校も、あくまでもそのようなカテゴリーのものとして、内実を自分自身で納得できるように埋めていく。その過程には、痛みや悲しみもあるが、新たな創造への充実感もある。

僕に限らず、人生や生活に「移動」が埋め込まれている人にとっては、多分多かれ少なかれ同じような感じなんだろうと思う。たとえば国際移動をする出稼ぎのフィリピン人。映画「ANAK」の母親のように、出稼ぎ先の香港から久しぶりに戻ってみると、自分のもっとも強固な支えであったはずの家族が大きく変わってしまっている。もうかわいかった幼子のあの子ではないと、娘が自分で歩んできた時間を認めることから始まる新たな「家族」や「親子」という関係。じゃあ、あのとき出稼ぎに行かなければよかったのか。映画のラストで、母親は再び香港に帰っていく。なぜか。

あるいは先日結婚式で久しぶりに再会した大学時代の仲間たち。複数回の転職を経験し、常に自分の能力を試し試されながら、成果と評価を勝ち取っていく。彼/女たちにとって、会社や職場は帰属しながらそこで何かをなすゾーンであるというより、局地局地で勝ちを確保しながら先に進んでいく、バトルフィールドのようなものだといったら大げさだろうか。「俺、もう3つ」、「私は4つ目」と笑いながら話す彼/女たちに、いわゆる現代日本社会の「労働」問題を見出すことはできないほどに強すぎる。そこではそもそも「雇用」や「キャリア」という言葉の含む意味合いが変質している。僕は20代のときのように「最終的な目標は何?」と率直にたずねることはできなかった。きっと終着点なんてないんだろうし、でも目的ははっきりしているだろうから。先へ進むこと。

そして、そんな浦島太郎たちは、じゃあ「移動」しなければよかったとはけっして思わないだろう。「安心」の共同性や関係性の中に居残り続けることは、そこから解き放たれる/追い出されることの不安以上に、どうしようもなく窮屈だし、閉塞しているし、未来を見出せないから。いまここの当たり前を「そうではないもの」へと異化しつつ、別のどこかへの脱出をつねに心に秘めながら進む。「生存」のためだけでもなく、「勝利」のためだけでもなく、あえていえば生きること自体が「移動」し続けることであるような、そのことによってのみ更新されていくような、そんな生き方。

というわけで、今年度を締めくくり来年度に向かう「更新」作業のために、これからしばらくフィリピンに行ってきます。今回は短い滞在だけれど、よく動き、よく考える時間にしたいと思います。ソウルの仁川空港にて。

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生物学的な母の困難

映画「クリーン」を観た。

ドラッグで夫を亡くし、幼い息子の養育権も失うアジア系女性の物語り。トロント、ロンドン、パリ、サンフランシスコをめぐって、展開するストーリーはトランスであるより、むしろオリジンに向かっていた。それは、母と子の自然的な紐帯。

なめたオイディプス的なボヤキになってしまうかもしれない。物心つく前に両親が離婚した僕は、生物学的な父母の物理的な別離に際し、自己決定したわけではない移動や関係をずいぶん複雑に繰り返してきた(と教わっている)。色々ありながら、最終的には生物学的な父親と、彼のその後に婚姻した妻=僕の社会的な母親とともに暮らし、なんとか育ち、18歳までの時間を過ごした。それからは、基本的に(親や国や職場に援助を受けながら)独りで生活を営む日々を今日まで営んでいる。

もうすぐ、その独り暮らしに終わりが訪れて、婚姻関係を構築することになっている。それは、何度もこのブログで語ってきただろう。婚姻関係が社会的に承認されるための儀式について、僕はこれまでとにかく否定的だったし、まさか自分がそんな儀式を必要とするとは思わなかった。が、諸事情あり、目下、結婚式の様々な準備に追われている。

嫌なこと、面倒なこと、イデオロギー的なことは山ほどある。今日はそれを愚痴る気はない。反対に、うれしいのは、これまで不完全な僕と、どちらかというとデメリットが多い関係を継続してくれた親族や友人たちに、一応の社会的なステイタス変更の現場に居合わせてもらえるということ。つまり、最近始めたゲストへの招待。絶対に婚姻関係を結ぶパートナーなんて見つからないと思っていたし公言していたから、見つかっちゃいましたと伝えるのは恥ずかしいんだけれど、でも「おめでとう」の一言がうれしい。早くみんなに、伝えなくっちゃ。

けれども、残念で、消化できないことが1つ。それが、上に書いた僕の家庭環境。端的に、生物学的母親は、呼ぶことができないということ。いや、呼んだとしたら、色々すごく面倒なことになってしまうから、その面倒を僕が回避しようとしていることへの苛立ち。「こちらの母が生物学的な母親で、こちらが社会的な母親です」とリベラルに、フランクに伝えられるはずの生き方を続けてきたけれど、どうも無理みたいだ。きっと彼女には招待状を送らない。送れない。

人類学者として、生物学的な、社会的な親族関係を様々見たり、聞いたり、記録したり、伝えたりしてきた。日本の社会において、結婚式で、生物学的母親と社会的母親を1つのテーブルに座らせることの難しさも、もういい歳なんだからよくわかっている。そう、よくわかっている。

映画を観て、脊髄反射的に書いてしまった自分への嘆き。「あなたはそうやって、おじさんになっていく」。

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開放の中のしばしの自閉

日中、暖かくなった。思わず、ロードスターをオープンしたくなるくらいに。しないけれど。

修士論文と入試関係の業務ダブルヘッダーの翌日に、久しぶりにぽかっと空いた時間を自宅で、自分のためだけに過ごしている。とはいっても、その大部分は査読が返ってきた原稿の直しに費やされているのだけれども。それでも、ゆっくり朝からお風呂に浸かったり、ランチを作って食べたり、コーヒーを入れたり、ジャージにメガネで近所に買い物に出たり(平日なので多分近所の人には不気味)、そういう当たり前でプライベートな「日常」を通過しながら、じっくりと差読者の厳しい意見を咀嚼し、自分の原稿を読み直し考えるという作業をしていると、すごく苦しいのだけれど「ああ研究しているな」という気分になる。

2004年からの2年間、PD時代は週2回ほどゼミや非常勤で出かけるほかは、基本的に自宅で今日のような生活を続けていたので、あの頃の感じを思い出して懐かしい。先の人生がどう転んでいくか、全くわからないからパニック障害になって過呼吸の発作が出たりもしたけれど、逆に言えば読み書き考えること以外にすることもなく、またそれしか不安から抜け出す方法がなかったので、すごくシンプルだった。起きて、読んで、食べて、書いて、排泄して、考えて、食べて、風呂に入って、酒を飲んで、寝る。その繰り返し。いつまでそれが続くかわからないけれど、それをいつまでも続ける。あたかも本能で動く動物のように研究する。完全に確立した「個」としての「孤独」な生活。

そうしていたら、突然連れ出された。光が差したようにも感じたけれど、暖かい布団を突然剥ぎ取られたようにも感じた。宮崎に、大学教員になるために旅立った。それからずっと、今日に至るまで、あのころのような動物的な研究生活を送ったことはない。職場があり、仕事があり、同僚がいて、学生がいて、それらが僕の閉ざされていた生活を完全に開かれたものにし、そして他者とのつながりを与えてくれた。自らの物語世界に自閉することなく、開かれた世界のなかで、義務や責任とその見返りとしての報酬を与えられながら生きることはそれほど悪いことじゃない。でもふっと欠如を感じるのは、自分のためだけに使える時間が限定されていて、そしてゆっくり立ち止まって集中して読み書き考えることができなくなったからだろうか。

単に、僕の能力が不足しているだけかもしれない。どれだけ忙しくても、自分の時間を確保し、スタイルを確立して、ものすごく多産な人はたくさんいるから。でもどうもそういうことだけでもない気がする。自分が、他者や社会に対してつねに開かれているということ自体への、拭い去ることのできない不安や居心地の悪さ。予測不能で限定無しの偶発的な出来事がつねに生活の中に混入して、その結果、例えばお風呂に1時間入ったり、1日かけてルーを使わずカレーを作ったり、近所の喫茶店に出かけて1冊の本を読み終わるまで粘ったり、そういう自閉しなければ不可能な事柄を実際に不可能にしてしまう。

そうそう、ブログを書くというひたすらに自己満足な行為ももちろん、しづらくなる。時間がないだけじゃなくて、これを読む人たちの顔を想像すると書けることが15パーセントくらいになってしまうから。最近よくつぶやくのは、ツイートが他者や社会との関係性を背景に成立している行為だからじゃないだろうか。ブログとツイートは、質的にまったく違う気がする。自閉した妄想と自己顕示の垂れ流しか、関係という回路にがんじがらめにされた思考の強制的な流出か。

何をどうしようという話じゃない。いや、むしろ今の自分の生活の方が、どう考えてもベターだということも受け入れながら、他者に開かれる希望があるのと同じくらい、自己に自閉する希望があってもいいじゃないのだろうかという話。うまく伝わらないだろうけれど。

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朝に

通勤にも、買い物にも、その他外出にも、名古屋では車が欠かせない。日常的な活動範囲のほとんどを自転車でカバーできていた宮崎時代と比べ、圧倒的に車を運転する機会が多い。

昨年10月に購入したロードスター、相変わらず惚れ惚れするほど可愛くて、いい買い物をしたと自分の選択の正しさを確認する。気に入った車に乗ることの幸せ。願わくば、早く暖かい季節になって、再びオープンで名古屋の街中や岐阜の山辺りを走り回れることを。それまで、もう少しあの幌は雨風をしのぐシールドでいてもらおうか。

授業が終わって一息と思ったら、レポート、修士論文、入試と大き目の仕事が連続する。特に、修士論文は、今年は副査で数も多くないが、一つ一つの内容が分厚いので読むのにも評価するのにも力が要る。これを、自分が主査になって指導すると思うと、今後はもっともっと教育に時間と労力を注がなければならないだろう。今のうちに、できるだけ前倒しで、研究を進めておかなければ。

珍しく、早寝して日の出前に早起きした朝に、校正刷りを眺めながら。さあ、もう少ししたらロードスターで大学に向かおうか。

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小さな革命を始める

NYに行きたい。「理想の恋人」っていう、どこにでもありそうな映画を観ながら、、年末のアッパーウェストの素敵な風景とピザを思い出しながら、そしてあの街で、一人で闘っているお姉ちゃんのことを考えながら。

結婚式の式場が決まったので、手続き的には、誰に来てもらえるか、今は招待客リストアップと声かけの最中。友達、という存在が、本当に自分の人生において不可欠で、貴重で、何か根幹のようなものであることを感じながら、名前のリストを眺める。あの時、あの場所、あの奴ら。僕は、こうやって今まで生き延びてきたけれど、みんなはどうやって生きている?

婚約者の友人が、このブログを読んでくれているらしい。僕の中での、書かなきゃ死んじゃう、という時間はある程度落ち着きをみせているけれど、それでも書かなきゃって思うとき、書かなきゃ落ち着かないってときは、なくならない。付き合ってくれる人々に感謝。

圧倒的に、どうでもいい雑感を垂れ流してる。不義理をしている人たちへの私的なあるいは公的な文章は溜まったままなのに。それなりにまとまったものを、それなりに世に出そうとしているからこそ、今いえる。このブログがなかったら、多分どこかでつぶれるか、倒れるか、諦めるかしてた。もうしばらく続けていきたい。

本当に、つぶやきを羅列しただけになってしまった。もう一本、映画を観て寝るか、どうか、迷っている。そんなとても澄んだ夜と朝の間に、僕は少しだけ、小さな革命を起こそうかなんて考えてる。加わるかい?

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