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独身と既婚の狭間で

僕は今日、35歳の誕生日を迎え、そして婚姻届を提出してきた。

昨夜の誕生日は卒業生(とその友人)たちに囲まれ本当に暖かいお祝いをしてもらい、今朝ブーブ・クリコとモエ・シャンドンの残る頭と心を抱え、彼女を迎えに行ってそのまま居住先の区役所に向かった。休日なので今日は守衛さんの書類受け取りだけ、もし明日受理されれば今日付けで入籍完了、というシステムは知っていたけれど、名古屋は本籍地と「区」が違うだけでも戸籍謄本が要ることを知らず、あわや今日の入籍はできないか、という雰囲気が漂う。

プロポーズが彼女の誕生日、じゃあ入籍日は僕の誕生日にしようかという軽いアイデアだったのだけれど、ここまで色々準備してきたのでやはりどうしても今日中の入籍にしたい。結局、本籍地も名古屋市なのでそちらの区役所に行けば戸籍謄本なしで提出できるということが判明し、区役所をはしごすることに。そちらの区役所の守衛さんに預かってもらって、あとは明日の連絡を待つだけ。守衛さんが、「おめでとうございます」といってくれるのが何か不思議な感じだった。僕は今、婚姻届は出したけれどまだ独身で、そして明日受理されると遡って今日付けで入籍していたことになるという不思議な状況にある。

今、世の中はすごく混乱した状況にあって、そこから聞こえてくる悲しみや苦しみや怒りの声を聞きながら、自分の小さなセカイを幸せで満たすことにすごく抵抗があって、一度は入籍は延期しようと考えた。でも、いろんな人に相談したり、何よりも東京から我が家に避難してきた卒業生と普通の時間を過ごしたり、家族が被災した卒業生と他者の悲しみを感じたり感じなかったりすることについて心を開いてぶつけあって話し合って、その結果何一つ相変わらず分からないし、足りないし、出来ないけれども、今朝起きたらよし入籍しようという気持ちがすごく強くなっていた。徹底的に全力で入籍してやろうじゃないか、と。

そんな混乱した東京に戻らなくてもここでしばらく暮らせばいいじゃない、とか卒業生を引き止めていたのは本気。このまま数日間を過ごしたみんなで擬似家族的なつながりの中に入れたらどれだけ幸せだろうか。昨夜は半ば本気でそんな気持ちになっていたのだけれど、結局みんな明日からの日常の労働に回帰するために、帰っていった。入れ替わりに僕の家には、これからずっと一緒に暮らすことになるだろう彼女がやってきた。仕事も結婚も、淡々と続いていくだろう。世の中の混乱が僕の小さなセカイの外側にあるかぎり。その混乱が、僕のセカイの中で起こったとき、僕は初めてその混乱を自分のものとして、他人事ではなく、受け止めることができるのだろう。でも、そのときにですら十分な言葉が僕の中にあるとは思えない。他人事として言葉を失ったのと同じくらいに、我が事としても言葉を失うのだろうけれども。

会ったことがある人は知っていると思うけれど、彼女は誰もが僕にはもったいないという心の美しい素敵な人です。おまけに美容師なので髪を切ってもらえるし染めてももらえるオプション付き。彼女と出会うことができた幸運と、その出会いを継続的なパートナーシップにまで展開することができた幸運をかみ締めながら、とりあえず、まずは自分たちの生活を少しずつ作り上げていくことに力を注ごうと思います。一番身近な他者とのつながりを大切にすることから、識別不能であっても共感できるような他者への繊細なセンサーを鍛える。他者のわからなさを自分の日常生活にもう一度取り込むことで、今回の災害で徹底的にうろたえ途方にくれてしまったようには、もう二度とならないようにしたい。

そんなことを、独身と既婚の不思議な境界域で考えた。

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言葉の欠如

ずいぶん長いこと言葉を発しなかった。地震が起きた日からずっと家にこもっていた。流れる情報や発言を追いながら、僕はただただ言葉を失っていた。何か言葉はないだろうか、そう求めながら、目の前を流れる信じがたい光景に言葉を失っていた。その光景に対して、雄弁な言葉が次々とつむぎ出されていくのに、自分は何の言葉も持っていないことにいらつきながら。

そうやって沈黙しながら、まとめて3日分カレーを作った。カレーをひたすら食べながら、自分の仕事を続けた。そうしてみると、その沈黙ですら「他人事」の域を超えていないのではないかという気になってきた。語ることもできず、語らないことすらできない。他者についての言葉はいつも不足している。とくに、その他者が苦しみ、悲しんでいるときには。不足どころか、そもそも欠如しているのではないか。

日ごろ、「他者についての学問」について、あんなに物知り顔で語ったり書いたりしているくせに。自分のセカイから一歩だけでも抜け出すことはできないのか。

祈ることしかできない。祈りは言葉と違って、不足も余剰も生み出さないから。祈るだけ。

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