36歳の誕生日

前回のエントリーが昨年末。気付くと3カ月弱立っていました。なんだか、近況報告と宣伝だけのブログになってしまったようだけれど、そしてツイッターに加えFacebookも始めすっかり乗っ取られ気味だけれど、一応続けているつもりです。

本日、2012年3月21日、生まれた日から36年間が経過しました。

36歳、避けようもなく「中年」期に突入といったところでしょうか。茶色い髪の色も、いい加減な格好も、いつまで続けていくのか、やめ時をやや逸した感じで、外見だけでなく、中身の思考や感覚も、全然この36年間という時間に追い付いていなくて、ものすごく中途半端に成長しきれていない、春樹作品の主人公が大きく崩れてしまった感じです。

それでも70年生きれたら後半戦、90年くらい生きてしまうなら中盤戦、人生はまだまだしばらく続いていくだろうから、僕は僕のペースで世界と少しずつ折り合いをつけながら、仕事と遊びの日々を繰り返していこうと思います。

もはや1年に1度、儀礼的に通過するだけの一日だと思っていた誕生日ですが、思いがけず多くの方々に祝ってもらい、お祝いの言葉をもらい、ああやはり生きて、関わって、つながっているんだという想いはたしかに強くしました。ありがとうございます。がんばります。

フィリピンより、36歳のゆるめの決意とともに。

東賢太朗

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今年の最後に

こんにちは。すごく久しぶりですが、今年最後のエントリーです。

今年の年越しは、気の置けない友人夫妻の自宅で、妻と猫ともに過ごしています。昨年の今頃、独身最後の贅沢と称して、友人とニューヨークのタイムズスクエアで年越ししたのが幻のようです。

あれから一年、早かった。3月には入籍の直前に震災が起こって、自分の人生に求める幸福と世の中に生じている不幸との狭間で、力と言葉を失った。ぎりぎりまで動けず、結局あわただしく書類だけ提出して結婚生活を開始。そのあと、震災の影響で遅れた著作出版のための作業に追われ、新婚というにはあまりにも殺伐とした生活が続いた。6月、なんとかぎりぎり、『リアリティと他者性の人類学』を出版。

大きな喜びは、むかごが来てくれたこと。誰かと一緒に暮らし始めたら猫を飼いたいなとずっと思っていたけれど、それが実現したら想い描いていたよりもはるかに素晴らしい喜びを与えてくれた。それからしばらく、少し早く仕事を終えて、妻と買い物をして帰って料理を作って、むかごも一緒にテーブルを囲むのは、いまだに受け入れがたい奇跡的な幸福だと思う。それからしばらく、結婚式の準備を進める日々が続いた。

夏はいつも通り、数回の海外渡航があったけれど、そこでも自分に帰るべき、帰ることができるホームがあることの不思議さばかりが印象に残っている。帰国してから、すごく追い込んで、そして本当に多くの人たちの助けを借りて、なんとか10月9日に結婚式を挙げた。それもまだ信じられない。

いつも通り、襲いくるあれこれの出来事につねに一歩遅れながら、対処するだけの時間を365日過ごしただけなんだけれど、振り返ると自分は「配偶者」になって、「著者」になって、「飼い主」になって、いくつかはっきりとしたステイタスの変更が今年を跡付けている。そして、それが、自分の小さな世界のすぐ外にある世界の大きな変化と相まって、「変わったんだ」という気持ちを強めている。そう、今年はすごく、いろいろなことが変わった。その変化が「きっかけ」なのか「あらわれ」なのか、まだよくわからないけれど。

今年は自分の小さな世界の変化に対応することと、外にある世界の変化から身を守ることで精いっぱいだった気がする。内側でディフェンスを固めるだけでなく、外側に攻めに出るバランスを確保したい。半径10メートルの世界から一歩踏み出してみなよ、って誰かや誰かにけしかけていたのは誰だっけ。

最後はやっぱり内向きのぼやきか呟きになってしまったけれど、今年お世話になったすべての皆さん、ありがとうございました。それぞれ幸福に2012年を迎えられることを祈ります。そして、それら幸せの総和が世界全体の幸福につながりますように。よいお年を。

2011年12月31日

東賢太朗

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結婚式終了

一昨日、10月9日、多くの皆さんに見守られながら、名駅ミッドランドタワー42階、エノテーカ・ピンキオーレにて、無事に人前結婚式と披露宴を終えることができました。

出席してくれた方々、祝電を送ってくれた方々、様々お手伝いしてくれた方々、そしてその他これまで僕たちを支え育んでくれた全ての方々にこの場を借りてお礼を伝えます。ありがとうございました。

これからは、きっとずっと続いていく二人(と一匹とその他未来のメンバー)の日常生活をいかに幸福で実り豊かなものにするか、そのことに力を注ぎたいと思います。そのためにも、結婚式での誓いや喜びを忘れないように。

ありがとうございました。

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新しい家族が増えること

結婚したし、「新しい家族が増える」こと、予感してたし、そしてそれが現実的になってきて、よりいっそうの責任と喜びを感じる日々です。

そう、先日告知したように、本日より我が家の構成メンバーが増えました!

ありがとう。僕たちのところに来てくれて。出会ってくれて。そして、この出会いの縁をつないでくれた方々にも。君は、たまたますごく不幸な偶然で、このセカイに剥き出しでおいていかれてしまったんだけれども、すごく幸運な偶然で、僕たちのところに来てくれて、そして、これからずっとずっと、可能な限りこの世界を一緒に生きていってくれる。君の、手が、足が、目が、声が、何もかも、君のそのある姿が、僕たちを幸せにしてくれるし、僕たちも、可能な限り君が幸せでいてくれるように、少しでも環境や状況をいいものにしたい。本当、よろしくね。

新メンバー、三毛ネコの「むかご」です。幼少よりの夢、ネコとの生活、スタートです!

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転載夕食日記

ツイッターから加筆修正の転載。こうでもしないとブログ、自然消滅しそうだから。

今夜は、友人夫妻がくれた益子焼きのそばセットで蕎麦を食べた。板わさやジャコおろしでビールと日本酒をささっと飲んで、そばは自家製つけだれと、タチヤで買った巨大な大根おろしで。普通の乾麺だったけれど、うまかった、すごく。明日の昼食も、つけだれの残りがあるので、そばに決定。

明日は午後から授業。お昼は蕎麦を食べるから弁当はいらないけれど、君の作るほうれん草のおひたしは食べたいから、少し取り分けておいてねとお願いした。明日のお昼は蕎麦とほうれん草のおひたしに決定。

今夜の夕食は、きっと僕一人ではできなかった。帰りが予想以上に遅くなったので、帰宅中にメールでいくつかの作業を妻にお願いした。帰宅後、絶妙なタイミングで乾杯。自分も学校に行って電車で帰ってきて、忙しかったのに。ありがとう、素敵なディナーを。おやすみなさい。

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他者と生きること

数年前、それでももう10年位前になるか、絶対的といっていいほどの他者と生活をともにすることになった。

そのときは、「フィールドワーク」と呼ばれるどうしようもなく専門的なこちらの都合によって、どう考えてもぶしつけすぎるでしょうという状況で、「すいません、今日から2年ほどお世話になります」という感じで、フィリピンのある地方都市の村落内のお宅に住み込んだのだった。それから2年ほど、やはりぶしつけだったので、ずいぶん色々誤解があったり、もめたり、喧嘩したりしながら、それでも最後は帰ってきたくなくて、愛しすぎて、涙で鼻水が止まらなくなりながら、あの家を出て、独りのこの国のこの街に帰ってきた。その一連の流れの中の過ちに関しては、もう引き受けるしかないということはよく分かっている。でも、それはまた次回の話。

今回、新たに他者と生活をし始めて、最初に感じたのは、自分がいかに独りで完結したシステムの内部で生活を継続してきたのかということ。友人は幸いにしてつねに声をかけてくれて、学生もまあまあ付き合ってくれる、親族も見捨てることなくときどき思い出してくれる、というような状況で、僕の人生は自分の中ではそれなりに他者にひらかれながら、自己との行き来を繰り返していると思っていた。でもどうやら違っていたようだ。18歳から35歳まで、もしある人が独りで、生活を構築してきたとしたらどうなるか、その「独特」な感じがいまようやく、彼女と生活し始めて分かり続けている。全ての局面において、お前、他者を受け入れられていないぞというモメントの連続。でもそれはまた次の機会に。

逆に、他者がどうしようもなく生活をともにしていることによって、愛してしまうほどにすばらしいことは、衣食住の充実。何もかも、洗うことも、干すことも、掃除することも、購入することも、作ることも、それら一連の計画も、実行も、何もかも二人で分け合い、二人で話し合い、行う。どうもコブクロ的な発言になってしまうようだけれども、独りで15年生きてきた人間にとって、「生活」とはこなす以上には意味の無いタスクであり、できる限り効率的に行うものであったのに、それを共有し、意味あるものにしてくれる生活内他者の存在は驚くべき変化だということ。その際たるものが食事で、独りでは買うことも想像しなかった鯛一匹とか、絶対に独りではなしない豚しゃぶとか、もう、他者万歳っていうくらいに生活は充実している。そういえば、あの頃フィリピンで、毎晩みんなでご飯食べていたなって今さら思い出す。

他者とともに生きるのは思った以上にきついことだけれども、生活の中に他者がいることって、じつはかなりすごく優しいことなんではないかと思った。そのきつさと優しさの両極の間で揺れながら、僕たちは他者との関係性をはかっている。でも、時々そのバランスを忘れてしまって、他者の「きつさ」の方をクローズアップしがちだし、実際そんな最近の雰囲気だから、こんな文章を書く気になったのかもしれない。ご飯は、誰かと食べた方がおいしい。今夜のアクアパッツァは忘れられないくらいに素敵だった、それだけのこと。

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鯛が埋もれているがアクアパッツァ。彼女が元職場の先輩からもらったタジン鍋で作った。

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独身と既婚の狭間で

僕は今日、35歳の誕生日を迎え、そして婚姻届を提出してきた。

昨夜の誕生日は卒業生(とその友人)たちに囲まれ本当に暖かいお祝いをしてもらい、今朝ブーブ・クリコとモエ・シャンドンの残る頭と心を抱え、彼女を迎えに行ってそのまま居住先の区役所に向かった。休日なので今日は守衛さんの書類受け取りだけ、もし明日受理されれば今日付けで入籍完了、というシステムは知っていたけれど、名古屋は本籍地と「区」が違うだけでも戸籍謄本が要ることを知らず、あわや今日の入籍はできないか、という雰囲気が漂う。

プロポーズが彼女の誕生日、じゃあ入籍日は僕の誕生日にしようかという軽いアイデアだったのだけれど、ここまで色々準備してきたのでやはりどうしても今日中の入籍にしたい。結局、本籍地も名古屋市なのでそちらの区役所に行けば戸籍謄本なしで提出できるということが判明し、区役所をはしごすることに。そちらの区役所の守衛さんに預かってもらって、あとは明日の連絡を待つだけ。守衛さんが、「おめでとうございます」といってくれるのが何か不思議な感じだった。僕は今、婚姻届は出したけれどまだ独身で、そして明日受理されると遡って今日付けで入籍していたことになるという不思議な状況にある。

今、世の中はすごく混乱した状況にあって、そこから聞こえてくる悲しみや苦しみや怒りの声を聞きながら、自分の小さなセカイを幸せで満たすことにすごく抵抗があって、一度は入籍は延期しようと考えた。でも、いろんな人に相談したり、何よりも東京から我が家に避難してきた卒業生と普通の時間を過ごしたり、家族が被災した卒業生と他者の悲しみを感じたり感じなかったりすることについて心を開いてぶつけあって話し合って、その結果何一つ相変わらず分からないし、足りないし、出来ないけれども、今朝起きたらよし入籍しようという気持ちがすごく強くなっていた。徹底的に全力で入籍してやろうじゃないか、と。

そんな混乱した東京に戻らなくてもここでしばらく暮らせばいいじゃない、とか卒業生を引き止めていたのは本気。このまま数日間を過ごしたみんなで擬似家族的なつながりの中に入れたらどれだけ幸せだろうか。昨夜は半ば本気でそんな気持ちになっていたのだけれど、結局みんな明日からの日常の労働に回帰するために、帰っていった。入れ替わりに僕の家には、これからずっと一緒に暮らすことになるだろう彼女がやってきた。仕事も結婚も、淡々と続いていくだろう。世の中の混乱が僕の小さなセカイの外側にあるかぎり。その混乱が、僕のセカイの中で起こったとき、僕は初めてその混乱を自分のものとして、他人事ではなく、受け止めることができるのだろう。でも、そのときにですら十分な言葉が僕の中にあるとは思えない。他人事として言葉を失ったのと同じくらいに、我が事としても言葉を失うのだろうけれども。

会ったことがある人は知っていると思うけれど、彼女は誰もが僕にはもったいないという心の美しい素敵な人です。おまけに美容師なので髪を切ってもらえるし染めてももらえるオプション付き。彼女と出会うことができた幸運と、その出会いを継続的なパートナーシップにまで展開することができた幸運をかみ締めながら、とりあえず、まずは自分たちの生活を少しずつ作り上げていくことに力を注ごうと思います。一番身近な他者とのつながりを大切にすることから、識別不能であっても共感できるような他者への繊細なセンサーを鍛える。他者のわからなさを自分の日常生活にもう一度取り込むことで、今回の災害で徹底的にうろたえ途方にくれてしまったようには、もう二度とならないようにしたい。

そんなことを、独身と既婚の不思議な境界域で考えた。

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言葉の欠如

ずいぶん長いこと言葉を発しなかった。地震が起きた日からずっと家にこもっていた。流れる情報や発言を追いながら、僕はただただ言葉を失っていた。何か言葉はないだろうか、そう求めながら、目の前を流れる信じがたい光景に言葉を失っていた。その光景に対して、雄弁な言葉が次々とつむぎ出されていくのに、自分は何の言葉も持っていないことにいらつきながら。

そうやって沈黙しながら、まとめて3日分カレーを作った。カレーをひたすら食べながら、自分の仕事を続けた。そうしてみると、その沈黙ですら「他人事」の域を超えていないのではないかという気になってきた。語ることもできず、語らないことすらできない。他者についての言葉はいつも不足している。とくに、その他者が苦しみ、悲しんでいるときには。不足どころか、そもそも欠如しているのではないか。

日ごろ、「他者についての学問」について、あんなに物知り顔で語ったり書いたりしているくせに。自分のセカイから一歩だけでも抜け出すことはできないのか。

祈ることしかできない。祈りは言葉と違って、不足も余剰も生み出さないから。祈るだけ。

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生物学的な母の困難

映画「クリーン」を観た。

ドラッグで夫を亡くし、幼い息子の養育権も失うアジア系女性の物語り。トロント、ロンドン、パリ、サンフランシスコをめぐって、展開するストーリーはトランスであるより、むしろオリジンに向かっていた。それは、母と子の自然的な紐帯。

なめたオイディプス的なボヤキになってしまうかもしれない。物心つく前に両親が離婚した僕は、生物学的な父母の物理的な別離に際し、自己決定したわけではない移動や関係をずいぶん複雑に繰り返してきた(と教わっている)。色々ありながら、最終的には生物学的な父親と、彼のその後に婚姻した妻=僕の社会的な母親とともに暮らし、なんとか育ち、18歳までの時間を過ごした。それからは、基本的に(親や国や職場に援助を受けながら)独りで生活を営む日々を今日まで営んでいる。

もうすぐ、その独り暮らしに終わりが訪れて、婚姻関係を構築することになっている。それは、何度もこのブログで語ってきただろう。婚姻関係が社会的に承認されるための儀式について、僕はこれまでとにかく否定的だったし、まさか自分がそんな儀式を必要とするとは思わなかった。が、諸事情あり、目下、結婚式の様々な準備に追われている。

嫌なこと、面倒なこと、イデオロギー的なことは山ほどある。今日はそれを愚痴る気はない。反対に、うれしいのは、これまで不完全な僕と、どちらかというとデメリットが多い関係を継続してくれた親族や友人たちに、一応の社会的なステイタス変更の現場に居合わせてもらえるということ。つまり、最近始めたゲストへの招待。絶対に婚姻関係を結ぶパートナーなんて見つからないと思っていたし公言していたから、見つかっちゃいましたと伝えるのは恥ずかしいんだけれど、でも「おめでとう」の一言がうれしい。早くみんなに、伝えなくっちゃ。

けれども、残念で、消化できないことが1つ。それが、上に書いた僕の家庭環境。端的に、生物学的母親は、呼ぶことができないということ。いや、呼んだとしたら、色々すごく面倒なことになってしまうから、その面倒を僕が回避しようとしていることへの苛立ち。「こちらの母が生物学的な母親で、こちらが社会的な母親です」とリベラルに、フランクに伝えられるはずの生き方を続けてきたけれど、どうも無理みたいだ。きっと彼女には招待状を送らない。送れない。

人類学者として、生物学的な、社会的な親族関係を様々見たり、聞いたり、記録したり、伝えたりしてきた。日本の社会において、結婚式で、生物学的母親と社会的母親を1つのテーブルに座らせることの難しさも、もういい歳なんだからよくわかっている。そう、よくわかっている。

映画を観て、脊髄反射的に書いてしまった自分への嘆き。「あなたはそうやって、おじさんになっていく」。

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開放の中のしばしの自閉

日中、暖かくなった。思わず、ロードスターをオープンしたくなるくらいに。しないけれど。

修士論文と入試関係の業務ダブルヘッダーの翌日に、久しぶりにぽかっと空いた時間を自宅で、自分のためだけに過ごしている。とはいっても、その大部分は査読が返ってきた原稿の直しに費やされているのだけれども。それでも、ゆっくり朝からお風呂に浸かったり、ランチを作って食べたり、コーヒーを入れたり、ジャージにメガネで近所に買い物に出たり(平日なので多分近所の人には不気味)、そういう当たり前でプライベートな「日常」を通過しながら、じっくりと差読者の厳しい意見を咀嚼し、自分の原稿を読み直し考えるという作業をしていると、すごく苦しいのだけれど「ああ研究しているな」という気分になる。

2004年からの2年間、PD時代は週2回ほどゼミや非常勤で出かけるほかは、基本的に自宅で今日のような生活を続けていたので、あの頃の感じを思い出して懐かしい。先の人生がどう転んでいくか、全くわからないからパニック障害になって過呼吸の発作が出たりもしたけれど、逆に言えば読み書き考えること以外にすることもなく、またそれしか不安から抜け出す方法がなかったので、すごくシンプルだった。起きて、読んで、食べて、書いて、排泄して、考えて、食べて、風呂に入って、酒を飲んで、寝る。その繰り返し。いつまでそれが続くかわからないけれど、それをいつまでも続ける。あたかも本能で動く動物のように研究する。完全に確立した「個」としての「孤独」な生活。

そうしていたら、突然連れ出された。光が差したようにも感じたけれど、暖かい布団を突然剥ぎ取られたようにも感じた。宮崎に、大学教員になるために旅立った。それからずっと、今日に至るまで、あのころのような動物的な研究生活を送ったことはない。職場があり、仕事があり、同僚がいて、学生がいて、それらが僕の閉ざされていた生活を完全に開かれたものにし、そして他者とのつながりを与えてくれた。自らの物語世界に自閉することなく、開かれた世界のなかで、義務や責任とその見返りとしての報酬を与えられながら生きることはそれほど悪いことじゃない。でもふっと欠如を感じるのは、自分のためだけに使える時間が限定されていて、そしてゆっくり立ち止まって集中して読み書き考えることができなくなったからだろうか。

単に、僕の能力が不足しているだけかもしれない。どれだけ忙しくても、自分の時間を確保し、スタイルを確立して、ものすごく多産な人はたくさんいるから。でもどうもそういうことだけでもない気がする。自分が、他者や社会に対してつねに開かれているということ自体への、拭い去ることのできない不安や居心地の悪さ。予測不能で限定無しの偶発的な出来事がつねに生活の中に混入して、その結果、例えばお風呂に1時間入ったり、1日かけてルーを使わずカレーを作ったり、近所の喫茶店に出かけて1冊の本を読み終わるまで粘ったり、そういう自閉しなければ不可能な事柄を実際に不可能にしてしまう。

そうそう、ブログを書くというひたすらに自己満足な行為ももちろん、しづらくなる。時間がないだけじゃなくて、これを読む人たちの顔を想像すると書けることが15パーセントくらいになってしまうから。最近よくつぶやくのは、ツイートが他者や社会との関係性を背景に成立している行為だからじゃないだろうか。ブログとツイートは、質的にまったく違う気がする。自閉した妄想と自己顕示の垂れ流しか、関係という回路にがんじがらめにされた思考の強制的な流出か。

何をどうしようという話じゃない。いや、むしろ今の自分の生活の方が、どう考えてもベターだということも受け入れながら、他者に開かれる希望があるのと同じくらい、自己に自閉する希望があってもいいじゃないのだろうかという話。うまく伝わらないだろうけれど。

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